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分会からの報告 |
第9回日本ダウン症フォ−ラム2004in兵庫 に参加しました |
普通学級の子ども達にお話ししました |
子供たちの投稿 |
根室市 S喜枝子さん(翔太 S63.12.20)
小鳩会の皆様お元気ですか。
様々な事に向かい合いながらの年月は早いもので翔太が中標津高等養護学校に入学してからもうすぐ冬休みを迎えようとしています。
当初は「夜ね、布団に入ったらね、目から汗が出てくるサ!」と言ったものです。突然その日からの一人寝に寂しい思いをしたのでしょう。そんな翔太に心強い“友”が出来ました。
しぐさ、言葉、陽気さ、ちょっとやんちゃでも臆病なところまで、二人は双子のようにいつでも一緒です。
体育祭でのマラソンリレ−で彼が1位、翔太は2位、表彰台での満面の笑顔、良きライバルにもなります。
夏休み中の事、釧路と根室での電話のやり取り、「遊びに来いよ〜」「明日、7時に行くよ〜」です。隣の家じゃないんだョ〜と叫びたい心境にも、あったかな二人の会話には目頭が熱くなったものです。
彼の母も私もそんな可愛い高校生に拍手を送りたい気持ちでした。週明け寮に戻る時間がどちらかが後先になってもお互い待ち切れずに、ご対面できた瞬間は「会いたかったよ〜」と肩を組み合います。
又、夜の自由時間には恒例のお茶での乾杯とか、語り合う内容をそっと隠れて聞いてみたいものです。一度、翔太に尋ねたことがあるんです。答えは“人生について”でした。腰が抜けそうでした。
別々の町で生まれ育ち、ここで巡り会えた運命も嬉しく思っています。ここでの3年間、いっぱい一杯幸せであれと祈りたいです。叶うものなら大人になってもずっと“親友”でいられたらと大切に見守ってあげたいです。
寮の部屋は隣同士、教室は家庭科でいつも机を並べて。そんな2人を学校の先生も寮の先生も優しく見ていてくれるのです。とてもあり難い事です。
下手なダジャレは今も健在。そんな翔太も12月にはもう16才になります。
(このお手紙は昨年11月にいただきました)
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函館市 T敦子さん(あゆみ S60.1.13)
成人式を迎えて
1月9日雪の降る中、函館市民会館で行なわれた成人式に参加してきました。障害をもっている子供達(もう大人だけど)は席を用意してくれているので大丈夫だといわれて行くことにしました。
会場まで連れて行き終わる頃迎えに行きました。「どうだった?」と聞いたところ「うるさかった!」と一言。なんせ一番前の席で和太鼓の演奏があったらしくそれしか印象に残っていなかったかもしれません。ものすごい数の成人した若者たちの中にいると本人は場違いだと思ったかもしれませんが、あなたも大人の仲間入りしたんだよと親は心の中で思っていました。小鳩会からもステキなプレゼントをいただき、私の友人からは化粧品一揃いが送られてきて、本人はちょっぴり照れていました。「私、ハタチだからネ〜!」と・・・。
願わくば中身も大人に近づいてくれればと思っています。親の方も子離れを確実にしていかなければと肝に命じています。
1月13日で娘は“ハタチ”になりました。
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標茶町 S貞子さん(隆 S59.11.24)
おめでとう二十歳
早いものでわが家の二男、隆が成人式を迎えました。当日、中学校時代の同級生の友達の車でニコニコ顔で行きました。
20年・・・・・長いようで短かったかな?
隆は姉、兄、弟の二男としてS59.11.24日ものすごくシバレた朝に生まれました。生まれたのは個人病院だったので・・・そこの先生がちょっと何か変だというので、日赤病院に移しますからと。その日の夕方には連れて行かれてしまいました。
その時、私は何気なく「ダウン症」かいと言いました。先生はお母さんダウン症知っているの!と。どんな症状か知りませんでしたが、ダウン症という言葉は知っていました。
誰でもが思うようにまさか自分が障害のある子を・・、とは思っていませんでした。まして・・・この狭い町の田舎のことです。
ただ、その時日赤病院の先生に色々と言われましたが。ボゥ〜としていて『お母さんの顔も』わからないでしょうと言われたのを鮮明に覚えています。
色々な事がありました。
なかなか歩かない、言葉が出ないなど・・。歩けるようになるまで「わかば整肢学園」にも通いました。言葉が遅いので、その頃、標茶町に言葉の教室がなかったので、一時間かけて釧路町の言葉の教室にも通いました。
小学校も姉、兄と一緒の学校に通わせたくて、お願いをして特学を作ってもらい通うことになりました。
過ぎてしまえば20年・・・長いようで、あっという間の歳月でした。
今、隆は弟子屈町の授産施設の「手つなぎ工房」に、毎日元気に通っています。夕方に帰って来てからは、わが家の仕事の牛の乳しぼりも毎日やっていますよ。
でも、4月からは弟子屈町にグル−プホ−ムが出来ることになり、本人が行きたいというので入ることになります。
PS.娘は看護師として、小児科病棟でダウン症の子ともかかわっていますし、又、長男も現在、教師の道へとただ今勉強中です。出来れば障害のある子の先生になってほしいと思っています。
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成人式を迎えられた
釧路市 W敏行さん(S59.7.2)
お母さんのコメントです。
敏、成人おめでとう。
スーツ姿は決まっているけど、お腹の出っぱりが少し目立ちます。
小さい時は、すぐ風邪を引いて年2回は入院していた敏も養護の5年生頃から体力がつき入院する事なく元気になりました。
誰とでも仲良くひょうきんな明るい敏です。
20才になったからといってこれと言う事はありませんが、いつまでも元気で明るいひょうきんな敏でいて下さい。
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成人式を迎えられた
七飯町 K恵理さん(S59.4.25)
お母さんのコメントです。
成人式には出席できませんでしたが、昨年の夏に知り合いの方に、写真のドレスを作っていただき、家族でお祝いすることができました。
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