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 「豊かな青年期・成人期を迎えるために」(3)



 先程のA子さんの話をひとつの物語として考えてみようと思います。こころみとして、A子さんの立場になって解釈してみたいと思います。A子さんは3年間作業所に通った後、家族の希望により地域に新設された作業所に移ることになりました。移ってみると家族の人が言うように利用者全員が近所に住んでいる人達なのでこれまでも学校や地域の行事で会って顔見知りでした。しかし一緒に仕事したり生活するのは初めての人達です。しかも仕事の内容もこれまでの文具の詰め込みから、ハンガーの組み立てに変わってしまいました。また一から覚えなければなりません。もちろん生活の流れも違います。そして最も変わってしまったのが、これまで皆のお母さんであった人達が先生(指導員)になったことです。中でも自分のお母さんは所長さんと呼ばれていてこれまでのように自分のことだけを考えてくれる立場から変わってしまったこともお母さんの忙しそうな動きからわかります。毎日何となく疲れるし戸惑うことばかりで活動に取り掛かるのが遅れがちになります。決められたことにも遅れがちです。するとサボっていると言われ指示や要請、しまいには命令されるようになります。でも言われれば言われるほどかえって体が動かなくなってしまうのです。家に帰っても養護学校を卒業後、作業所に通うようになってからは高等部の時のように一日の様子を家で話したり行事のことを話したりすることはなくなってしまいました。何となく家族と一緒に部屋にいてボーっとテレビを見ているという毎日でした。しかも、新しい作業所に移ってからはお母さんが一層忙しくなって家に帰っても話し相手のいないひとりぼっちと感じることが多くなっていました。日中楽しかったこと悲しかったこと等を話す機会がほとんどなくなっていました。A子さんから見るとこんな環境だったのかなと思います。ダウン症の方は高等部を卒業して20数歳になっていますとだいたい身の回りの事はキチッとできています。A子さんも日によってはご飯作っておいてよとか、何しておいてよなんて頼まれることもありました。しかも、それらを普通のこととしていました。しかし、これまでは家族と一緒に料理を作ったり、お風呂の支度をすることを通してコミュニケーションが取れていたのですが、作業所に慣れるに従い、一人でいろいろやることになっていました。昼間にあったことを夜に家族とコミュニケーションができていたでしょうか。関わりが少なくなっていなかったでしょうか。幼児期の関わりとは違いますが、大人になることでそういうところが日に日に抜けてコミュニケーションも少なくなっていたのかなと思います。どの方の場合も全てそういう原因ではないと思いますが。生活のし方をもう一度考えて上げたらいいかなと最近思います。

 作業所の指導員の方々にダウン症の方々でお困りの行動は何ですかとアンケートしました。すると、1番が引きこもりがちで恥ずかしがりである(女子に多い)、指示や要請に従うことを拒む(男子に多い)、決められたことに遅れたりサボったりする(男子に多い)他に口に関してのくせがある(これはわかりますね舌を出したりとか、歯ぎしりをするとか、口に関するくせってありますよね)。それから欲求不満をうまく処理しない、注意を素直に聞かない、常同行動がある、適当でない所で身体を露出するなどでした。これらは私たちも同じですよね。転勤してぽーんと新しい職場に行くと、こういう行動が出るのではないでしょうか。

 ここからいよいよ指導に関してお話をします。その前に、もう一度注意しておきますが、今日お話しているのは急激退行そのものの話しをしているのではありません。どうしてこういう症状が起きたのかという事、そしてどうすればよくなったのかという事、この二つのことを考えることによって、大人にむけてどのような環境を整えていく必要があるのかを考えようとしているのです。何度も言いますが、皆、急激退行になるのではないのです。したがってならないようにするためにあるいは、こういう条件を整えてあげるとみんな健康に生活していけるのだという条件を、皆で考えていきましょうということです。

 先程対人面と仕事がきっかけとなったいう話をしました。するとどのように環境を整えてあげる必要があるのでしょうか。私は医者ではありませんから、お薬を飲ませて治すということはできません。専門が心理学である私のできることのひとつが環境調整なんですね。具体的には仕事面は仕事量を調整しましょう、対人面ではキチッともう一度親子関係、家族関係を作りましょうということが一例です。20歳過ぎてもまだ親かと言われるんですが、精神的な支えの基本は親子関係なんですね。成人して本人がどこに行こうが気持ちのつながり、親子関係は大切にしましょうということです。その上で、生活面において余暇を位置付けましょうということです。

 そこでさらに詳しく5つの項目を考えました。本では急激退行者のためのと書いてありますが、これは大人とつき合うための5項目と考えて下さい。ダウン症の大人と付き合う時にどのようなことに留意したら良いのかを5つ考えました。

 一つ目は当然のことですが「本人の意思を無視して強要したり制止したりしない」ということです。

 第2は、「発達水準からみると幼くとも、実際の年齢に応じプライドを配慮して接する」です。

 第3は、「作業や課題に際し厳しい処遇や指導を改め、能力に応じた目標を立てて対応する」です。作業や課題では、その成績が目標なんじゃなくてそれを通してその時間を彼らなりに一生懸命に意欲を持って向かえたかというところに本来の作業や課題の目的があるのではないかと私は思うんです。彼等は本当に責任感が強い人たちです。熱が出ても休むことすらいやがる人達が多いんですね。頑張りすぎて、ちょうどゴムが伸びきってしまい、戻れなくなってしまうようなところがあるのではないかという気がします。そして、

 第4が「余暇の時間を位置付け、本人の好きな活動に積極的に関わらせる」です。彼等の好きなこと、余暇をいかに探すかということは非常に難しいことです。しかし、これはずっとやり続けなければならないことと思います。年齢が高くなってもやはり彼等が豊かに生活できるものは、どのようなものかを探して歩くことだろうと思います。

 最後が「一緒に活動する時間、見守る時間を通して精神的な安定を図る」です。先程のA子さんのようにお風呂の用意をして、夕飯を作ってお母さんの帰宅を待っていた時、帰宅したお母さんは、今日一日のことを話す時間と、彼女一人でいる姿を見守るような時間をつくっておけばよかったなと言っておりました。誰にでも一人でいたい時間と、人と一緒にいたい時間があるはずですね。大人ですから。それを親の都合で今は一人でいたい時間だとか、今は一緒にいたいはずだと解釈してしまわないことが大切なことであるという気がします。

 ここから具体的なお話しをいたします。ここで紹介するB子さんはなかなか優秀な方だったそうです。ところが高等部3年の頃から急に状態が悪くなりました。このようにキチッと日記書く方でして、これは発症前高等部時代の日記です。そして、これが私の所へ来た時のものです……。文字が小さく、弱々しくなっていますね。さらにBさんは対人的にすごく敏感になってしまいました。3年間位私の所に通っていて、一度も言葉を聞いたことないんです。全て筆談なんです。知能検査した時、絵カード見せたら〔犬〕〔ねこ〕と小さな字で書いてくれました。これは最初の頃なのでまだ大きい方の字なんです。もっともっと小さくなりました。本当に米の上に書かさるんじゃないかという位小さくなるんです。あまり小さくて読めないので「大きく書いて」と言うと少しだけ大きく書いてくれました。動作が遅くなるしさらに動作が小さくなる、その影響で書く文字も小さくなるのかなと考えています。別の人ですけれど指導といってもお話もしてくれないし、顔も合わせてくれない、もちろん話題もないので何をしたらいいのかわからなく、そこで日記を書いてもらうことにしました。最初はこの症状は、老化による痴呆かと思っていましたので今日食べた食事のメニューとか、きょう何をやったかとか書いてもらっていたんです。ここに書かれているのは、きょうの出来事ですが〔半日ふろくやっての〕〔おりがみ〕〔たまりょういくセンター かんのさん〕とか書いてますね。きょう思ったこと感じたこと、考えたことの欄には〔ふろくやってのおりがみ ケイレン ほりさんふうせん **つくりました、ほりさん好きな***〕とか書いていますね。どの字も薄くて読めないし、文にもなっていないものですね。そして、それから1年後のものがこれです。ずいぶん違いますでしょう。まず文になっていますね。〔ふろくの箱をしました。アイスクリームをたべました、おちゃをのみました、会社セーラームーンをしました、ドリンクヨーグルトのみました、ラムネとチョコレートたべました。ラムネのどしゅーおいしかった。〕字の大きさや文が全然違いますでしょう。これからまた一ヵ月後、この方のお母さんも熱心な方で、もうこんな日記じゃ気持ちが書けないから原稿用紙に書いてきていいですかと言って書いてきたものです。一泊二日でお母さんと一緒に日光に行って来た時のものです。〔日光に行きました。あめがふいていました。とまってリゾートホテルコメット、温泉にはいりました。ウオーターはいってつめたかった。日光江戸村に行きました。しゃしんとりました。ふれあいぼくじょうに行きました。牛乳のみましたつめたくておいしかったです。そばうどんをたべました。おいしかったです。まだあめふいていました。いやだね。〕何て書いてます。回復は気持ちからはじまるようです。コミュニケーションが取れるようになって、気持ちの面で本当に楽しい事を楽しいと感じられるようになります。嫌なことは嫌だとはっきり訴えるようになってくるんです。回復の過程でもう一つの特徴は、食べ物への興味の回復のようです。初めの頃は食べ物に対して興味がなくなりやせ細ったんで、とにかくお母さんが好きなものをドンドン食べさせようとしました。そのせいか、まず食べ物に興味が湧いてきてだんだん他の物にも興味が広がってきたんですね。お母さんはなかなか熱心な方で、早期教育に参加し、その経験を今度は講演会などで後輩のお母さんにお話していました。親としての心構えや、子どもだけでなく自分も親として自立して、自分の人生を楽しんでいますという方でした。海外旅行にもよく出かけられた方なんです。ところが娘さんが突然こういうふうになってしまい、「どうしたらいいんでしょうか?」と相談されましたので「少しの時期ですからもう一度育てなおしのつもりでとり組んでみましょうよ」と言ったんですね。それからどうしたかと言いますと、お母さんは4時半に作業所に迎えにいって自分の会社に連れて行くんです。そして会社の自分の机の横に彼女を座らせ、彼女は手先のことが器用でしたから、折り紙を折らせたり手芸をさせたりして声をかけ、目をかけるという毎日をずーっと続けたんですね。そのうち少しよくなってきたら、お母さんもお忙しい方ですから週2回ボランティアに来てもらって作業所に迎えに行ってもらう。そして、夜お母さんが帰って来るまで一緒に遊んでいてもらう、もちろん遊ぶといっても大人ですからお風呂に入ったり、カラオケしたり、御飯を一緒に作ったりしたのです。(一緒に生活をしてもらったのです)。その他の日はお母さんが自分の会社に連れて来るということを続けました。また、このお母さんは思いたっらぱーっと彼女を連れて旅行に出たりと活動的でした。(彼女にとって)一泊か二泊、泊まる事は、たいへんよかったようです。まずお母さんがリラックスしますよね。御飯作らなくていいからやる事といったら子どもと向かい合うことで、子どもと話をしたりしますよね。どうもこの旅行すると回復が早いなと感じます。というより普段の生活はどうしてもコミュニケーションが少なくなっているように思います。まだ、学校時代は毎週1回は行事があり、それに向けて準備もしなくてはいけないし、当日も行ったりしてそれについてどうだこうだといろいろお節介やきますけれど、大人になると作業所はだいたいパターンが同じでほとんど話したりすることがなくなっていくようなのです。親は自分の老後の生活も心配になってきます。そこで当然自分の生活を大事にし、追われるようにもなりますしね。彼女のお母さんの場合はそれらのことを頑張って乗り越えたんですね。最近彼女は自分で勝手に私の所へ来ることを卒業してしまいました。その時の手紙です。〔明けましておめでとうございます。どうもかんのさん雪ふいて…………とつぜんですいませんがあいたいけど自分はもうずっとたまりょういくセンターかよっていてつかれたわーよ。しばらく卒業します。いつまでも元気でいてください。かぜひいていておりきぶんがわるくなったらいやだから 頭がいたく行けません。(何度も行けないと言い訳をしているんですね)。○○子より。一言 なみだぐんでみせように〕このように、彼女は元気になり、本当に一人で勝手に卒業してしまいました。お母さんは不安なものですから月に1回位は来させたいと思っていたんですが、本人の気持ちを大事に、本人がそう言うならもういいでしょうということで卒業にしたんです。今はグループホームに入って、アパートのような一部屋をもらって生活し、週末だけ自宅に帰って来ると言っていました。彼女は状態のよくない時は、車椅子を使わないと移動できなくなりました。ヒステリーのようになって自分でてんかん発作だと言って倒れたりもしました。このお母さんは観察力が鋭くて状態が悪くなって一か月以内に来たんですね。何だかよくわからないけれどどうもおかしいと言ってきたんです。それで医者と心理の私と会ったんですが医者の前で発作起こすものですから医者はこれは大変だと思いまして薬を飲ませたり、経過を見たいので入院しましょうということになって入院したら一層ひどくなって、クスリ飲むともっとひどくなったんですね。親は医者に対して不信感持って、薬は絶対飲ませない、心理だけはとりあえず通いますということで5年通ってこのように卒業するまでになったんです。

 このグラフを御覧下さい。これはC子さんの動作のスピードを表したものです。この方も優秀な方で(本に書いてありますが)ビル清掃をしていた方なんですが、状態がちょっと悪くなってこれ30秒間に2個しか×を書けなくなったのです。本当は○を書いてもらいたかったのですが、○が書けなくなったので×にしました。30秒間に2個というスピードはすごいですよ。ぼーっとしていてやらないんじゃないですからね。スローモーションよりも遅い位の遅さでやるんです。だいたい半年間位このスピードでした。30秒で2個書くようなスピードで全てのことをやるんです。着脱も、洗面もこのスピードなんです。親はイライラしますでしょう。今までビル清掃で一般の企業に就労していたんですよ。半年くらい私の所に通って少しよくなりました。何で良くなったのかは分からないのですが。ずーっと良い方向になってきました。ところが、ある時期ちょっと違うな変だなと思ったんです。後から聞いたのですが、彼女の妹さんがこの時期結納の時期だったと言うんです。妹の結納だということは基本的には家が忙しいですよね。で、その後の結婚式が終わって妹さんがお家を出て彼女がお母さんとお父さんと3人暮らしになったんですね。そうするとまた状態が良いのですね。きっと彼女にとっては楽しくてしょうがない毎日だったのだと思います。それからドンドン回復していくんですね。この人の場合は初めからコミュニケーションはできたのですが動作はずっと遅い状態が続きました。もちろんグラフからもわかるように環境に影響されて動作や気持ちが変化するということがこれで分かると思います。

 このように、成人期に急激な退行を示したダウン症の方々と出会い、ともに回復に向けた取り組みをしてきて、成人期の過ごし方、豊かな生活にむけたヒントが得られたと思っております。それらを紹介しますと、

 まず第1は、「疲れたら休ませましょう」です。小さい時から彼等は真面目な子どもですから、頑張りましょうと言うことばに精一杯こたえて育ってきました。具合が悪い時は休んでいいんだよとか、学校だけでなくもっと大切なものもあるんだよとか、いろんな楽しいものがあるんだということ、そして、何よりも自分の体の状態を教えてあげることが大切だと思います。責任感が強いため休むことにダウン症の人達は抵抗があります。仕事だけでなく生活全体を楽しむことが大切であることを本人だけでなく周囲の人達も十分理解しておきましょう。

 第2は、「慣れ親しんだ人や場に変化を加える場合は配慮しましょう」。です。もうこのくらいの年齢なんだからわかるだろうということで配慮せずやってしまうことがあるかもしれません。しかし、先程も言いましたようにお兄ちゃんが結婚して家を出ますよ、引っ越しをすることになりました、作業場で部署が替ります、○○先生今年で終わりなんだってということはよくありますよね、そういう事に対して変化の後にどうなるのかを見通しが持てるように前もって時間を掛けて説明したり、練習したりして本人が納得できるようにしておきましょう。

 第3は、「毎日の日課はある程度一定に保ち、決まった活動は続けさせるようにしましょう」です。早寝早起き、身の回りの事、手伝い、家事、仕事など。先程のB子さんの場合には(親がよくがんばったなぁと思うんですけれど)作業所を最後まで辞めさせなかったんですね。彼女にはそれがよかったようです。もちろんもっと大事なこともあります。その方がどんな活動をやりたいのかを確かめて、それを生活の一つの柱として考えていきたいですね。彼女の場合には作業所に通うことの他に、自立生活プログラムという、肢体不自由の方達が中心の会なのですが、ボランティアさんと集まって自分の障害を考えましょうとか、さまざまな活動をしていく会なのですが、そこに参加したいと言うので通うことにしました。定期的に週の何曜日か作業所を休んで通っていたんですね。そういう事も生活の中に位置付けておくことが大切です。

 第4は、「それまで続けていた事、例えば日記を書くとか、電話をするとか、買い物をするとか、旅行に行くとか、皆の前で発表するとかを継続して行きましょう」ということです。ダウン症の人達ってお勉強がすごく好きなんですよね。私が彼等の回復を考えて、リハビリみたいなことをする時もまずお勉強がとりかかりになります。そこでコミュニケーションがとれるのです。私たちもそうですが、何歳になっても学習に対する意欲はありますし、知的好奇心は持ち続けているようなのです。もちろん、彼らも同じなのです。学びたい、達成したいという気持ちにこたえてあげましょう。

 第5は、「これからの生活に必要になると思われる事はこれまでと同じように教え続けましょう」です。教え方の基本原理は繰り返しです。30歳なら30歳なりの生活があります、このように生活を楽しんでもらいたいということに向け、いろいろなことを教え続けましょう。例えば、今まで観劇に行ったことがないけれど観劇に行けるようにしたいとか、旅行も行き先や楽しみ方をもう少し広げていきたいとかいろいろとあるのだと思います。

 そして最後が、「家庭の話題の中に何時も参加させましょう」です。本人が一人でいたい時間とやむをえず一人でいる時間、一人にしてしまっている時間を区別して、孤独に放置したり寝込ませたりしないようにしましょうということです。話題の中心にしましょうと言った時にあるお母さんから「うちの子どもは言葉がないのですが、どうしたらいいのでしょう」と言われました。そこで本ではもう少し詳しく書きました。すなわち話題とは必ずしも話をする事だけではありません。一緒にゲームをしたり、じゃれ合ったり、ふざけ合ったりなど、今この場に一緒にいることを感じ楽しめることだと思うのです。

 今まで急激に退行を示した方々と長年付き合ってきました。真剣に根気よく取り組むとよくなるんですね。そして、回復の過程を振り返ってみますと、彼らを支える私たちや親自身の人生に対する考え方や姿勢が問われているような気持ちになります。

 彼らと出会って、私自身いろいろ考え、学ぶ機会を与えられました。そのひとつとして、最後に、もう一度B子さんの絵と日記を紹介します。この頃のB子さんは車椅子だったんです。この絵は車椅子の自分です。ちょうど3年前の1月2日の日記です。〔いちにちじゅうたいくつでした。せんたくものとあみものをしました。すずしくてさみしかった。さむかったです。1日きのうはパチンコにいきました。もうかったよ。よかった。つぎもぜったい勝つぞ。終わり。〕同じページにお母さんがコメント書いています。「しばらく負けてパチンコ代が無くなりがっかりしていましたが、これでやっとまたお小遣いができました」B子さんと交換日記風に、この他にもいろんなこと書いてあります。そして次の日、〔1月3日いちにちじゅうパチンコに行ってきました。またかっちゃったわよ。いやねー。ジュースのみました。つめたくてすーっと頭がさえてくる。めでたいめでたい。終わり。〕お母さんのコメントです。「今日はゆっくりテレビっ子と思ったのに、結局また行きました。でも勝ってよかった」このお母さんはすごく教育熱心な人です。おそらくそれまでのお母さんなら彼女とこのように楽しめなかったのではないでしょうか。この日記には、娘さんと二人で楽しんでる姿があります。彼女を大人として扱っていますよね。大人として付き合っていますよね。すごいなと思ってこの日記を紹介しました。学ぶことがたくさんあるな〜と思って紹介しました。

 成人期の問題というのはどうしたらいいかまだまだわからないところがたくさんあります。それは私たち自身の問題でもあるからです。30、40歳位から少しずつ衰えが出てきます。それは私たちも同じです。では、その時どのように付き合っていったらいいのでしょうか。衰えをくい止めるにはどうしたら良いのでしょうか。まだまだわかりません。ただ成人期は幼児期、学齢期、青年期につづく段階です。それぞれの時期を充実させ、精一杯に生きることが次の段階への移行へのエネルギーになるのではないかと思います。乳児期、幼児期、学齢期にあたる方々も、その時期、その時期を精一杯、一所懸命に生きることが大切だと感じていただければなあと思います。私もそうします。そして、これからも、彼らのために、彼らの豊かな生活のためになることを、ひとつでも見つけていけるよう、研究していきます。お役に立てるように、がんばります。

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