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 「豊かな青年期・成人期を迎えるために」(2)



 さて2つの危機を具体的な事例でお話しします。

 私は成人期以降のダウン症には3つの発達タイプがあると考えています。一つは健康で40歳以上を過ごせる人達(健康高齢者タイプ)そしていつも話題になるアルツハイマーになる方、そして急激退行というタイプです。アルツハイマー以外は私が付けた名前ですが、退行という言葉には抵抗が強く、そんな言葉を使うなとよく怒られています。でも私はあえてはっきりわかる言葉を使うようにしました。これ以上の言葉が思い浮かばないのです。それともう一つはそういう危機がその時期にあるんだということをちゃんと伝え、それをいかに乗り越きるかを考えていこうと思っているんです。そのためにはそういう問題があるんだということをはっきり認識しなくてはいけないと思うのです。それをあいまいにすると結局全てがあいまいになってしまうと思うのです。退行という名前はとにかくそういう状態があるんだということを知らせたいと思って使っています。

 先ず健康高齢者タイプです。この方は(写真)49歳で作業所で活動的に働いている方です。この方の話をします。

 小学校2年生まで普通学級に在席しました。3年生以降未就学です。23歳まで在宅でした。24歳から東京の区の授産施設に入所して現在まで25年間通所をしています。性格はひとなつっこく明るい反面、頑固で自分の都合の悪いことはとぼけるなどみられる。言葉は不明瞭ながらほぼ会話ができます。移動は2、3年前に足を捻挫しましてその後歩行が不安定となり、現在は手押し車(よく、おばあちゃんが使う)を押して移動しています。ただ狭い範囲だと手摺を使いながら歩けます。食事・着脱は自立していますが排泄は時々失敗することがあります。この失敗というのは(男の方で)排尿時ちょっと衣服にかけてしまう程度の失敗です。作業能力はこの1、2年筋力が弱くなってきて、不確実な面がみられますが指導員からみて能力が退行している印象はないということです。帰宅後の生活はテレビで野球を見ることが好きでほとんど外出することはないが近くの店へ買い物に行くことはできます。現在93歳のお父さんと80歳のお母さんの3人暮らしです。同じマンションの上にお兄さん御夫婦がいらっしゃって最終的にはそのお兄さん御夫婦と暮らすことになっています。外観はほとんどお爺ちゃんという感じの方なんですが、なかなかお元気で、「一緒に作業室の方に行きますか」と手を出すと「ああ、大丈夫です、私一人で歩けますから」なんて言ってトコトコと歩いて行くんですね。ああ素晴らしいな、なかなかいい方だなと思ったので健康高齢者タイプの中でこの方を紹介しました。

 ところで今年の夏札幌から2時間程の所にある大きな施設に行ってきました。そこで生活している方が 120人位いらっしゃる所で、そのうちダウン症の方が10数名いらっしゃって直接全員と面接してきました。彼らは一人が30代であとは全員40歳代だったんです。ところが皆さん大変元気な人達で東京近辺でこんなにお元気な人達にお会いできませんねと言ったくらい元気なんですね。面接をしていますと指導員の方がバタバタ行ったり来たりするんですね。そして、お昼御飯の時に「すみませんでしたバタバタしまして」と言うんです。「いや、どうしたんですか」とたずねましたら、この間茨城で障害者のスポーツの大会がありましたよね。そのフリスビーの種目に道内の大会で3位になった方が(46歳の方です)出られる事になったというんです。「年齢段階でブロックがあるのですか」と聞きましたら、「25歳以下の方と26歳以上の方のグループだ」って言うんです。ということは26歳の人と46歳のこの方と一緒に競技して46歳のこの方が北海道で3位で茨城大会に行くことになったようなのです。元気な方ってたくさんいるんだなということをつくづくと感じさせられました。これからの研究はどうすると彼等のように元気でいられるのかを調べてなくてはいけないと思っています。そういう方が今はたくさんいますね。

 次はあまりふれられたくない話でしょうがアルツーハイマー病の話です。

 この方も小学校2年生まで普通学級に在席しましたが小学校3年生以降未就学。お父さんとは死別、お兄さんも独立、別居後は現在86歳になるお母さんと二人暮らし。39歳まで在宅でしたけれども在住の区福祉課の強い勧めで区立の身障センター内の作業所に通所するようになりました。初めの2、3ヶ月はダウン症と自閉症が重なっているのではないと思うほど拒否的な態度でしたが、通所するうちに半年程たつと慣れてきて、言葉を発するようになり、以後10年近く健康で通所して他の利用者とふざけ合ったり指導員に冗談を言って笑わせるなど人気者でした。私がはじめて会ったのはこの時期でした。ところが、49歳前後から物忘れが激しくなったとお母さんが言ってきました。特に、おそらく何か思いたって立ったんだろうなと思うのですが居間でポッと立つんだそうです。お母さんから見ても、隣の部屋から何か取ってこようと思って立ったんだなとわかるんだそうです。でも、その後忘れてしまったようでそのままフラフラとしたり、そのままボーっと立っていたり、また座り込んでしまったりという行動が頻繁に見られるようになりました。病院に行ってCTとかいろいろ検査した結果、おそらくアルツハイマー病だろうということになったんですね。

 海外の文献を見ますと、すごくショッキングなんですが、30歳を越えたダウン症の 100%がアルツハイマー病だと書いてあるものがあるんです。ところがこれまで20年近くアルツハイマー病のダウン症の方と会う機会は全然なかったんです。ずーっと調べても、調べてもこの人がアルツハイマー病ですよという人と会った事がなかったです。そしてようやく会えた方がこの方なんです。どうもダウン症のアルツハイマー病の症状がはっきりわかっていないままアルツハイマー病と言われてきたのではないでしょうか。したがって次に紹介する急激退行と混同しているんじゃないかなと、最近海外の文献を読みながら感じるようになってきました。アルツハイマー病の症状の中心は痴呆です。痴呆の症状をみますと、ダウン症がいくら知的障害であると言いましてもこのような症状は示さないですよね。

例えばパジャマのズボンの上から洋服のズボンを穿く、ズボンやポロシャツの前後を間違える、時や場所に関係なく洋服を脱いだり着たりする。ダウン症の方は乳幼児期に身の回りの事ができた段階でこういうことを絶対にしなくなりますよね。身についた段階でしなくなった事をするようになった、それが痴呆というものです。さらに、時々便を漏らす、そろそろ食事だからトイレに行こうかと言うとその場で脱いでしまう。さらに、こだわりがなくなるようです。長かったトイレも注意されると止めるようになるとか、好き嫌いがなくなるとか。また、自分の上靴と他人の物が区別できない、スリッパを交互違って穿いてもわからない、便所がわからなくなる、ドアの開け閉めができなくなる等いろいろな行動があります。アルツハイマー病は病気ですから、私達がアルツハイマーという病気になったのと同じ症状をダウン症の方も示すのは当然のことです。この辺の症状をキチッと押さえていないでボーっとしている姿を見て、ダウン症の人達はアルツハイマー病にかかりやすいと言っているんじゃないかなという気がするんです。しかも、それまでの研究が、ダウン症の亡くなった方の脳を調べた結果萎縮があるとか、石灰化があるとかということで全てアルツハイマー病だと言っているようなのです。ところが萎縮はいつから始まっていたのかわからないんですね。幼い頃からあった可能性があるんですね。

 このことは皆さんにお伝えしておきたいのですが、たとえば自閉症というのは脳の病気だと皆わかっていますので脳波検査とかCTとかMRIとか定期的に受けるんですね。ところがダウン症は心臓に合併症がない限りはもう病院に行くことはないんですね。風邪をひいて近くの病院に行きますけれど脳波をとりましょうとかMRIを受けましょうというのはまずないんですね。ところが状態が悪くなって病院に行き、いろいろな検査をしますよね。そしてCTとかMRIとか脳波の検査をして脳が萎縮していますよとか石灰化していますよと言われても、それがいつから始まったのか、全然わからないんです。そこで時期・時期、たとえば就学前後、学校を卒業する前後、就職する頃など検査をしておくといいと思います。最近は脳波にしてもCTにしてもMRIにしてもレントゲンのフィルムを親がもらうことができます。したがって、それをお母さんが持っていればいいんじゃないかと思うんです。で、ちょっと調子が悪くなった時に病院に行って実はなん歳の時にこうだったですと(病院はカルテを保存しますが)見せると、ああこの頃からこうだったんだから今の症状は、医学的な問題で起きたのではなく違う原因でこうなっているんだとわかってくると思うんです。ダウン症者の健康診断はまだあまりキチッとできていません。これは大きな問題かなと思っています。かつて亡くなった方の脳を調べたらほとんど全員脳が萎縮していたということがあってダウン症がアルツハイマー病にかかりやすいと言われていますが、どうもそんなに多くないんじゃないかという気がします。ですから40歳前後の危機の一つとしてアルツハイマー病がありますけれどダウン症も、私達同様、危機の一つとしてありますよという程度のとらえかたでいいんじゃないかという気持ちでおります。

 多分それと混同されているのが急激退行かなと思うんです。

 20歳前後にくる危機なんですが、20歳前後のダウン症に発症し日常生活の適応水準の低下が急激に生じるものです。こういう方々が東京では結構多いんです。この間、先程の北海道の施設で実は大人の方々のことを研究するきっかけになったのはこの急激退行というのがあって、というお話をしましたところ、そこの施設は開設30年で指導員の方は20何年いらっしゃる方が多いのですけれどそのようなことをはじめて聞いたと言うんです。知らなかったと言うんです。これまでただ一人40歳を過ぎて痴呆が始まり病院に入院した人はいましたけれどもというお話でした。東京近辺ですと一つの施設にだいたい一人位はいて相談されるんです。私はこれまで20人から30人位しかお会いしていませんが、だいたい高等部から卒後5年以内位に症状の出る方が多いんですね。もちろん皆がなる訳ではないですからため息つかないで下さいね。どうも北海道は少ないんじゃないかと私は思っているんですが。状態が悪くなった方々が病院に来まして病院でさまざまな検査をしますよね。医学検査をした結果、原因がはっきりした人達もいます。(表を見せて)主訴は全員が元気がない、疲れやすい、意欲がない、作業所へ行かなくなる、微熱があるということでしたがこの方々は急激退行ではないです。どうしてかというと原因があったんです。貧血甲状腺、結核、さらに、ダウン症に多いといわれる睡眠時無呼吸、また脳腫瘍や白血病の方もいました。ちょっと変だなと思われたら詳しく大きな病院で調べたほうがいいですね。病気がはっきりしますと、治療方法がありますからそれで回復します。本(ダウン症者の豊かな生活)の中にも元気がないというので調べたら頸椎亜脱臼で、手術したら元気を回復しましたという話も紹介してあります。また、いつも作業所でボーっとして居眠りばかりでなんとなくフラフラしているという人がいました。病院で調べたら睡眠時無呼吸で簡単な手術をしたら回復して今ずいぶん元気になった方もいます。そのように原因のはっきりしない退行を急激退行といっています。

 先程のA子さんの症状をまとめてみました。

 養護学校高等部を卒業後、作業所に3年間通所しました。21歳の時に家族の希望で通うのに便利な住居近くの作業所に措置替えされました。きっかけというのが皆さんあるんですね。措置替えされたのがきっかけかなと思っています。新たな作業所に通所し始め半年程過ぎた頃、22歳(発症年齢に共通するものがあるんですね)、無表情となり引きこもりが起こりました。その後活動量も低下しいつもボーっとしていることが多くなりました。また指をこすり合わせる等の常同行動が出現し、おもらしをするようになった。それから手や顔を頻繁に洗うというような症状もありました。このような問題行動が1ヶ月内外に急激に出てきましたので心理相談と医学検査を受けました。医学検査では異常がありませんでした。それで心理指導をしましょうということになったのです。もちろんまだ22歳ですから外観的な老化の兆候はありません。ただ身の回りの事はところどころできなくなっていましたので老化のステージは3段階まで落ちてしまったんですね。このように3段階まで落ち込んでしまったので、急激退行という名前を付けて、こういう症状がありますよと紹介していこうと思った訳です。それ以後いろいろと調べてみました。共通した症状というのがあります。動作はだいたい緩慢になります、表情も乏しくなり、会話が減少します、なんとなく前屈みで、こきざみにちょこちょこと歩く方が多いようです。そうじゃない人ももちろんいますけれど。このような症状からお医者さんのなかにはパーキンソン病じゃないかと言う方がいますけれども、今のところ診断はついていません。対人的には非常に緊張する人と、まったくコンタクトが取れなくなる人と二通りあるようです。非常に緊張してモジモジして私が面接している方の中には3年間顔を上げず、ようやく最近顔が上がってきた方がいます。3年経ってやっと声が聞けましたなんていう人もいます。また全く対人関係がとれない人もいて、少なくとも2タイプあるように思います。さらに、興味は喪失し、頑固・固執が強くなるようです。時々、興奮するなど情緒不安定になる人もいます。身体症状もありまして睡眠障害を持つ人、食欲不振になる人がいます。食欲不振のために体重が低下します。失禁(急激退行ではおしっこ関係の問題がかなりあります、これは親にとってはショックですよね。今まで自立していたのですから)、それからお便所に閉じこもるというのも結構あります。

 急激退行の初期症状としては動作緩慢、失禁、情緒不安定、心気的な訴え(あっち痛いこっち痛いということです。「頭痛いよ、お尻痛いよ、こっち痛いよ」っていう)これはダウン症の人に特徴的に多いようです。これは急激退行と直接関係なくダウン症の人はこう訴えることで逃げ道を作ることが多いようです。

 もう一つ特徴的だなと思うのがきっかけです。これはお母さんの訴えですが、「○○が原因で元気がなくなった」と言うんです。たいていの人が作業所に行っていますので指導員が悪い(担任が替わった、部署が替わった、いい先生が転勤しちゃった)と、仕事がきついの二つが2大きっかけです。しかし、よくつき合っていくと家庭不和など家庭でも同時期きっかけになるようなことがあるようです。外の問題だけでおこる人は少ないような気がします。転居、両親の離婚、家庭不和、兄弟が結婚して独立する、おじさんやおばさんなどが病気になってお父さんやお母さんがそちらの介護ばかりに手がかかるというようなきっかけもありました。急激退行の方とつき合っていきますとどうもダウン症の方がもともともっている性格行動特徴と深く結び付いた症状ではないのかなという感じがしてきます。

 これはMさんとY君です。この写真から何をしているとろこかわかりますか?こういう姿よく目にしますね、マイペースとお節介の典型的な姿です。ダウン症といえば頑固が思い浮かびます。よい言葉で言えば頑張り屋です。また、慎重という言葉も浮かんできます。別の言い方をすると臆病です。そして周りを気遣う優しさがあるのもダウン症の方々です。頑固になると引きこもりが出ます。臆病でいると行動面での引きこもりがおこります。ダウン症の方はパニックを起こして物に当たるとか、人に当たるとかいうことが少なく、内に向かうタイプの人が多いようです。お節介に関してみますと、軽くお節介をやく人もいるのですが、お節介をやきながら自分でストレスを感じている人も結構いるんですね。周りを気遣うからすごく気疲れして、だから自分一人でいたいというふうになるのかなと思うんです。

 問題行動がどうして出てくるのか考えてみますと、人には環境からストレスが加わります。ストレスは幾つかありまして、特に人との関係でのストレスは疎外感(自分が受け入れられていないんじゃないか)、不安感(何をどうしたらいいのかわからない)、これらは特に青年期に味わうようになります。先程みましたが急激退行は22、23歳が発症のピークでしたね。これには一つの解釈があります。多くの方々は、18歳から作業所に行きます。最初は慣れませんし、弱々しいところもあり、作業するのもそれ程得意ではありませんから周りの指導員は皆チヤホヤしてくれます。ダウン症の方々は可愛いですしね。ところが1年経ち2年経ち3年経つと彼らは行動特性で真面目で責任感があるので仕事がよくできるベテランになりますね。そうすると新年度に来る人達(18歳のいろいろな人が来ますね、自閉の方とか、別のタイプの知的障害の方)に指導員は手を取られ、ダウン症の先輩たちには声をかけられないで一日終わることもでてきますね。そこで疎外感、しかも不安ですよね。何を、今どうしたらいいのかわからないというのが毎日続くことがあります。そのような気持ちが彼らの中にたまります。そうすると彼らのなかにある行動特徴が一層顕在化、尖鋭化してきます。すなわち極端に出てくるんですね。疎外感や不安感により先程見てきた引きこもりにいたるのかなと思うのです。これが一つの解釈です。今、お医者さんとも一緒に研究していまして、医学的な検査もいろいろとしているのですが、原因はまだわかりません。当然医学的な原因もあるだろうと思っているのですが、いろいろ調べてもわからないのです。元気で30歳を迎えている人達と比較しても今のところ医学的な部分で違いがないんです。このことからどんな人でもなる可能性があり、また、反対にどんな人もならなくて済む可能性があるということなんだろうと考えています。その人その人によってストレスに対する耐性の強さ弱さというのがあります。どういうふうに育てられたかとか、どういう環境で育ったのかには人それぞれ違いがあります。さらに、その人の性格や行動特性の強さ弱さというのもありますから、現れ方は違ってくると思います。でも他の知的障害の方には、これまでの調査からこれ程急激に退行がおこったということをまだ聞いていません。そうするとダウン症に特徴的な症状なのかなと考えています。

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