天使病院小児科医師 外木秀文
VI 成人期
パート2 アルツハイマー病
Adults with Down syndrome develop the neuropathological hallmarks of Alzheimer's disease and are at very high risk of developing early-onset dementia, which is now the leading cause of death in this population..訳:ダウン症のある成人ではアルツハイマー病の神経病理学的な特徴が進行する.そして,早発性の認知障害(訳注:認知症あるいは痴呆症)が発症するリスクは非常に高いものがある.この認知障害の発症はこの年代(訳注:35歳以上)のダウン症のある人にとって今や最大の死亡原因となっている.(下図とともにHitherseyらの2019年の論文より引用)
1 アルツハイマー病とはどんな病気か?
年を取ると脳の機能が衰えるのは誰しもが避けて通れないものです.物忘れが増えてくるなどがそれに当たります.ところがそのような脳の機能の障害がある一線を超えるとなると「認知症」と呼ばれる病気となります.単なる老化現象による物忘れとは区別すべき脳の病気,これが認知症です.「認知症は、脳の病気や障害など様々な原因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態をいいます。認知症にはいくつかの種類があります。アルツハイマー型認知症は、認知症の中で最も多く、脳神経が変性して脳の一部が萎縮していく過程でおきる認知症です。症状はもの忘れで発症することが多く、ゆっくりと進行します。日本では65歳以上の人で5人に1人が認知症といわれています。」(厚労省 みんなのメンタルヘルスより引用)アルツハイマー型認知症は65歳未満で発症することも稀ではありません. ①症状の特徴を一言でいうと,記憶や思考・判断能力が徐々に低下し,元に戻らないまま,最終的には日常の所作も困難となる進行性の経過を取ります. ②脳の変化の特色は,脳細胞の外にアミロイドβタンパクが蓄積した老人斑がみられること,同様にリン酸化したタウタンパクが神経細胞内に蓄積し神経線維のもつれを引き起こす結果,神経原線維変化と呼ばれる構造物が出現する.わかりやすく言えば,脳の中に余計なタンパク質がたまるようになり,そのために脳細胞のはたらきが障害されたり,脳細胞が脱落し脳の機能が低下していくようになるのです.このアルツハイマー病の脳の変化はやがて画像検査で脳皮質の萎縮すなわち脳が薄く小さくなる変化としてとらえられます.はじめは海馬と呼ばれる大脳の中で比較的内側に当たる領域の萎縮がとらえられることが多いとされています.病気の話となると少し難しい話になってしまいました.もう少し良く知りたい方のために参考になるWebサイトをいくつか文末にあげておきます.
ダウン症との関係は?
アルツハイマー型認知症は加齢に伴う認知障害の代表で,聞いたところによれば,90歳台になるとほとんどのヒトの脳にはアルツハイマー病の特徴が認められ,100歳を超えるとまず100 %の人がそうなるといっても過言ではないとのことです.もっとも「脳の病変が始まること」イコール「認知症の発症」ではありません.しかし,すべての人が避けて通れない加齢に伴う宿命なのですね.それでは,ダウン症のある成人ではどう違うのでしょうか?1990年代に私が読んだ論文の中に衝撃的な報告がありました.不幸にして20代―30代でなくなったダウン症の方の脳を調べてみると全てに老人斑をはじめとするアルツハイマー病特有の所見が認められたというものです.ダウン症があるなしにかかわらずヒトはみないずれアルツハイマー病になる運命にあるのだとすれば,問題はそれがいつかということです.早期に病気が進行し発症するのがダウン症の問題なわけです.一般的には認知障害は65歳以降に発症すると言われていますが,65歳以前に発症する場合若年発症となります.個人差はありますが,ダウン症のある成人では早い人では30代後半から認知症の症状が出現します.55歳までに6割がアルツハイマー型認知症を発症すると言われています.そしてそれは文頭にあげた死亡率の増加と密接に関係してくるのです.ダウン症とアルツハイマー病の早期進行リスクについては,まだ,十分な理解がなされてはいません.21番染色体が1本過剰にあるのがダウン症の共通した異常ですから,そこにある遺伝子が1本分増えたせいでアミロイドβタンパクがたまりやすくなるのだろうとは思います.実際に21番染色体にはアミロイドβの元になるアミロイド前駆体タンパクAPPをコードしている遺伝子があります.ですからダウン症のある人ではアミロイドβの原料となるAPPが通常の1.5倍多くなります.単純に考えるとそのせいでアミロイドβも1.5倍になりますから,当然たまりやすい理由になります.また,以前の記事でも述べたDYRK1Aという21番染色体上の遺伝子が何らかの関係をしているとする研究もあります.
症状と治療について
もともと知的障害を持っているダウン症のある成人が認知症を発症すると,どんな形で本人や周囲が気づくことができるのでしょうか?早い人では30代後半から40代に発症するといいましたが,まず,本人自身が自身の変化に気づいて受診を希望することは私の経験上ありません.つまりは身近な他人が気づいて受診することになります.行動や体力の衰えを訴えて親に連れられて受診する人が多く,変化が起きて半年あるいは1-2年過ぎた場合もあります.知的障害のレベルが軽度の方では日常生活のスキルや会話能力が高いですから,認知症発症に伴う変化はかなり劇的です.さすがに突然ではありませんが,数か月のうちに症状が進行し明らかに以前とは変わってしまう様子に周囲もかなり困惑することが多いです.具体的な症状は, ① 会話が質・量ともに著しく減少する. ② 他人や物事に関する興味や関心が低下し,あいさつをしなくなったり,表情が乏しくなったり,好きだった音楽や映像を楽しむことをしなくなる. ③ 感情や行動のコントロール力が低下し,怒りっぽくなったり,泣きやすくなったり,衝動的行動をおこしやすくなる. ④ 運動能力が低下し極端な場合,歩行が困難となることもある. ⑤ 睡眠障害として,睡眠のリズムが乱れ昼夜が逆転する, ⑥ 食欲低下,すなわち食べる意欲がなくなり,食事量が減る,あるいは食事を取ろうとしなくなる, ⑦ てんかん発作を起こすなどです. 元来,知的障害のレベルが重い方や自閉症スペクトラム障害や不注意・多動性障害を合併している方,以前から急激退行の問題を抱えているような方では,上記の症状がすでに存在していることが多く,新たな認知症の発症による症状をとらえることはかなり困難です.
アルツハイマー病の早期発見にはPETが有用とされていますが,非常に高額で保険もありません.嗅覚を感知する方法も開発されているようですが,ダウン症のある方ではうまく検査できるか疑問です.MRIやCT検査で脳の海馬の部分の萎縮を調べることはできますが.それがあれば,ある程度病気が進んでいることの証明にはなるでしょうが,早期の発見手段にはなりません. アルツハイマー型認知症には根本的な治療法がありません.脱落した神経細胞はもとには戻りませんので,中心となる治療は認知症の中核となる症状を改善させ病気の進行を少しでもくいとめる薬物療法です.これには抗コリンエステラーゼ剤の塩酸ドネペジル(アリセプト)やNMDA受容体阻害剤(メマンチン)が効果があるとされています.その他にも生活環境を認知障害に合わせて最適化することが効果的なようです.ダウン症のある人たちの多くは認知症発症前からすでにこのような対策はなされていると思いますが,より状況に適応させる様検討してみることが必要です.行動や感情コントロールの問題には抗精神病薬や抗うつ剤などが必要となる場合があります. アルツハイマー型認知症を発症したダウン症の成人に対しては,私はアリセプトを処方しますが,比較的少量から開始し,しばらくの間,症状の改善が得られる場合が多いように思っています.しかしながら,その後は徐々に進行し,摂食障害(食事が自身でとれなくなる)や寝たきり状態となり,最終的には死亡します.私たちはこの病気に対してまだ,効果的な治療法を手にしているとは言えません.ダウン症のある成人では,本人自身の変化の自覚や認知障害の進行の他者からの覚知を困難なものにしています.ダウン症のある成人にとって自身のメンタルヘルスは,個人の幸福追求や健康管理,尊厳の保持のために非常に重要な事項ですが,その状況を定期的に評価し,周囲の支援者と共有する中で,認知障害の発見をより早期に行い何らかの専門的な診療につなげることは十分検討すべき課題と思います.
参考文献 Hithersayら Association of Dementia With Mortality Among Adults With Down Syndrome Older Than 35 Years JAMA Neurol 76:152-160 2019. doi:10.1001/jamaneurol.2018.3616. アルツハイマー病情報サイト https://adinfo.tri-kobe.org/index.html 健達ネット https://www.mcsg.co.jp/kentatsu/dementia/2880 厚生労働省 みんなのメンタルヘルス https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_recog.html
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