天使病院小児科医師 外木秀文
VI 成人期
パート3 成人期の診療と生活支援
知的障害のある方が成人となり,生活していくときに必要なことを今回は考えたいと思います.ダウン症のある多くの人では,特別支援高校を卒業すると「大人」の人生が始まります.そこでたいていは2つの事柄について「選択」することが必要となります.1つは社会活動です.一般就労(障害者雇用を含む)するか,就労支援あるいは生活支援・介護を提供する施設に平日通う選択です.もう一つの選択事項は,自宅で家族とともに生活するか,グループホームなどの共同生活をするか.すなわち生活の場をどうするかということです.
個人の能力や家庭環境あるいは地域の社会福祉資源や体制が当然その決定に関わることになりますが,個人の能力に応じて「自立」を目的とする方向と,能力に応じた「社会貢献」「自己実現」を達成する方向もあれば,「生活リズムの確立」や「日常生活のスキルや社会性の維持」が目的となる場合もあります.働くことを通しての社会参加に関する決断は,就職先の決定にも例えられますでしょうから,実際には高校時代に学校の指導者や地域の福祉担当者との相談である程度決まってくると思います.それに伴い家を出るかどうするかの決定もありますから,成人後の人生のおける「生き方の形」の決めることになるともいえます.日常生活の形は様々なバリエーションがあります.自宅生活をベースとして,デイサービスなどを交えて複数の施設を利用する人もいます.また短期間の生活の場を提供するショートステイや介護や医療的補助が必要な場合そのようなサービスを付加して過ごすことも可能です.本人の介護レベルに応じたサービスが得らえる施設に入居することも可能で,本人や家族の希望や状況次第では20代あるいは30代のダウン症のある人でも珍しくありません.
成人期の生活を始めて,軌道に乗ったころ,私は皆さん方に「生き方の形」と同時に,「生き方の中身」について確認することにしています.例えば,「職場や施設で友達や仲間はいますか?」,「自宅やグループホームでは何をして過ごしていますか?」,「サークルや集いなどの人的交流や楽しめるイベントへ参加していますか?」.こうした質問を通してのチェックポイントは「生きづらさ」を我慢していないか?ということです.ダウン症のある人たちが新しい事柄に出会い,新たな環境の中で経験する様々な物事の受け止め方や他人との関わり方について話をするようにしています.例えば,「あなたの話すことをしっかり聞いてもらえますか?」「あなたのしたいことをさせてもらえますか?」あるいは保護者に対して,「支援に抵抗するような事例はどんな場面で起こりますか?どうしたらそれを解決できるか考えてみましょう」などなどです.こうした問題の発見と適切な解決は大切です.放置されるとストレスになります.その結果,心身症として身体の症状がでてきたり,うつ状態や退行と言った心理的あるは行動上の変化が起こる場合があります.誰しも期待されて,相応の能力を発揮し,不可能と思われていたことにもチャレンジする.そんな人生を送れたらどんなに素晴らしいことかと思います.ダウン症のある人でもそうありたいと本人が希望するならしっかり応援してあげたいものです.気を付けたいのは,周囲が期待しすぎたり,本人が意識過剰になり,結果的に無理に頑張りすぎてしまう状態にはまり込むことです.この状態が長く続けばストレスになることは理解できますよね.また,そんな中で失敗をしたり,ネガティブな評価をうけたり,こころないことを言われたり,急に支えを失ったりするようなことがあると,心がおれてしまう状態になりかねません.食欲の低下あるいは過食,意欲の減退,物事への関心の低下,生活リズムの乱れ,倦怠感や頭痛などの不定愁訴,チックや常同運動の出現などの他,以前の記事に書いた,急激退行のような症状として現れることがあります.生活や職場での負荷が適正か?職場での人間関係はどうだろうか,常日頃から,注意をし,多くの関係者と情報共有して,心身症の発症やうつ状態,退行などの発症を防ぐ努力をすべきです.また,本人を注意深く観察して,これらの症状の早期発見に努めることが大切だと思います.
さて,医療の面から見ますと,成人期のダウン症のある人の診療には3つのカテゴリーがあります.その1は風邪をひいたり,体調を崩した時の一般診療.その2は肥満,高血圧など生活習慣病や甲状腺疾患,目や耳や歯の疾患などの定期診療,その3はメンタルヘルスや行動と社会適応の相談です.私は成人期の患者に対しては,その3のパートを担当しています.加えて,その1とその2の受診行動がスムーズにいくように紹介状を書いたり,電話でお願いしたりするようなサポートをしています.ダウン症のある成人に限った話ではありませんが,知的障害のある成人やその保護者にとって,医療機関の受診はかなりのストレスになるといわれています.子どもの時からかかりつけた慣れた病院ならそうでもないのでしょうが,新たな病院に行くとなるとなかなか気後れすることが多いものです.そもそも,本人が行きたがらなかったりすることも多いですし,一度でも残念な経験をしたことがあると二度と行きたくない気持ちになることもあるでしょう.医療機関と良い関係を築くことは患者と病院の双方にとって重要ですし,双方にその責任があります.患者側は初めての医師に対して信頼を感じるのは難しいかもしれません,また,医師は患者とコミュニケーションを確立し,ニードを感じ取れるか不安だと思います.ですが,何事も最初が肝心です.お互いに偏見や誤解がないようにするための情報提供と不安除去が大切です.患者の紹介に際しては,そこを良く配慮いただくようにお願いしたいものです.中でも,メンタルヘルスに関わる問題は最も気後れする要素が高いものです.私は平素からメンタルヘルスに関心のある医師の定期診察を受けることが良いと思っています.ちょっとした行動や感情の変化を話題にできることは重要な意味があります.社会適応の問題があったり,アルツハイマー型痴ほう症の発症などが見つかるのはこういったところなのです.私のような遺伝を専門とする小児科医や子供の時から定期的にみてくれてきた経験豊富な小児科医などがその役割を担っているの現状ですが,そのような医師は非常に少ないのが現実で,内科医や精神科医の中から知的障害者の移行診療に理解があり,知的障害のある人のメンタル面の診療マインドを強化した医師を養成していく必要があると思います.
さて,このような支援を行うことの意味は何でしょう?障害を持った個人がその人らしい人生を送ることの支援でしょうか.そう言いたいところですが,そう簡単なものではありません.家族や社会による知的障害者に対する支援の目的は安全の保持,危険の回避,疾病の予防やコントロール,身体的健康の増進の他,清潔で快適な状態の維持も望まれるところです.これはある意味最低限の事項とおもいます.そういったことも大切ですが,それとは別に一人の成人として,保証してあげなければいけない人権があるでしょう.尊重しなければならない個性もあるでしょう.侵してはいけない自由意思もあります.知的障害が強く,自己決定に関する判断力がないと考えられる人に対しては,一般的に自身に対する有害な行為を避ける目的で,行動をコントロールせざるを得ない場合があります.それでは,風邪をひいたために受診したクリニックで,しばらく待っている間に,何度も奇声をあげたりした場合はどうでしょうか,一般的に静かに待つことが求められる病院の待合での態度としては非難の目で見られかねません.付き添い者がいたたまれなくなり受診を断念せざるを得ないこともありえます.このような場合,受診する権利はどうなるのでしょう.自宅で生活していて,平日は就労支援施設に通っている人が,度々夜更かしをして,夜間何をしているのかも良くわからないし,寝坊しがちなのでどうにかしてほしいと親に相談されることもあります.そんなのは普通の社会人なら当たり前じゃないですか.ダウン症があるからといって品行方正である必要はないでしょう.「社会通念」に見合う行動を知的障害者に求めることは,簡単なことではありません.その人の認知度に応じた適切な対応を保護者や支援者が工夫し上手に行うことが必要です.同時に本人に対して,出来る範囲で,行動をコントロールするよう相談し理解してもらう必要があります.そうして,各種施設や医療機関ひいては社会に受け入れられる状態を作り出すことが一つの課題です.障害者と呼ばれる人にとっては,自身が持つ身体的なあるいは知的な障害だけが障害なのではありません.社会がその人に対して,受け入れを拒もうとする姿勢がまた一つの大きな「障害」なのです.こちらに障害があるからといって周囲に気を遣うことは必要ですが,度が過ぎれば自己否定感を醸成することにつがなりかねません.お互いの理解と現実的な妥協が必要ですが,その根底に障害のある人に対する敬意がなくてはならないものだと思っています.それと同時に障害を持つ当方にも相応の自尊心とプライドと寛容性が必要なのだと思います.
連載を始めてちょうど5年になりました.今回の記事が最後になります.会報の貴重ページを長い期間にわたり割いて掲載して下さったことに深く感謝をいたしております.会員の皆様に少しでもお役に立ったとすれば望外の喜びです.
最後に一つお知らせをいたします.日本ダウン症学会は,グローバルダウン症成人医療ガイドラインの日本語版の作成を行ってきました.これが2022年12月29日に公開されました.是非一読いただけたらと思っています.以下のWebサイトをご覧ください.
日本ダウン症学会(Japan Down Syndrome Association) https://japandownsyndromeassociation.org/
成人期ダウン症診療ガイドライン 日本語版 ページ下段に[家族向けバージョン]があります. https://japandownsyndromeassociation.org/adult-ds-guideline/
|