天使病院小児科医師 外木秀文
III 乳児期から幼児期にかけて
パート1 一般的な健康維持について
子供がなんども感染症に罹患し,その度に免疫を獲得していくことは,いわゆる抵抗力を付けたくましく成長するための大切なことと考えられています.ダウン症の説明を医師から受けたときに「ダウン症候群の特徴として免疫力が弱い」と言われたことはありませんか?医師はダウン症の方々にお話をする際に教科書を調べたり,インターネットで情報を集め勉強します.そうするとそのような記載が必ずと言っていいほどあるのです.でも,前から感じていたことは,「本当にダウン症の方々は免疫力が劣るのでしょうか?」ということです.何か明確な根拠があるのだろうか?と思うようになりました.そこで少し免疫について勉強してみました.ダウン症の子供が健康にたくましく育っていくためには何が必要なのだろうかと皆さんと一緒に考えてみることにしましょう.
まず第一に免疫力っていったいどんな力なのかわかっていらっしゃいますでしょうか?免疫とは微生物(ウイルスや細菌などの病原体)の感染により,宿主(すなわちヒトのことです)が病気になることを防ぐことを言います.わかりやすく言えば,病原体をうつされても,病気にならないことです.そのために体の中の特殊な細胞やタンパク質などが組織的に活動をしています.この免疫力を担うシステムについて簡単に説明させてください.
「獲得免疫」 水ぼうそうやおたふくかぜなどに一度かかるとその人は二度と同じ病気にかかりません.免疫ができたからです.これらの病気にかかった時にその病原体に対して抗体を作るからです.このような現象を獲得免疫といいます.抗体は病原体を識別して結合する特殊なタンパク質でBリンパ球が生産します.水ぼうそうにかかった人は水ぼうそうウイルス(正しくは水痘―帯状疱疹ウイルスといいます)に対する特異抗体が,おたふくかぜにかかった人はムンプスウイルスに対する特異抗体が作られ,一生生産ラインが維持されます.ですから,再びこれらのウイルスが体に侵入しようとした場合,特異抗体がウイルスと結合して体にダメージが出ないように処理するのです.この抗体は免疫グロブリンという共通した構造を持つタンパク質で,A, G, Mの三つのタイプがあります.専門用語でIgA, IgG, IgM(Igは免疫グロブリンの略)と呼ばれます.IgGとIgMは血液中や体の内部(組織間)にいきわたる一方,IgAは(時にIgGも)唾液や涙に分泌され,体の表面(と言っても目やのどなどの粘膜の部分ですが)でウイルスと戦うのです.母乳にもIgAが分泌され赤ちゃんののどや消化管からの感染を防ぐ役割をしているのはご存知でしょう.これら免疫グロブリンのレベルはダウン症の人ではほぼ正常範囲にあると言われています.抗体以外にも人には病原体と戦う細胞があります.キラーTリンパ球はその表面に特定の病原体に結合する免疫グロブリンと同じ役目をするタンパクがあり,これにより標的となる病原体におかされた細胞を破壊し感染の進行を防ぎます. このようにリンパ球は抗体を作ったり,感染細胞を攻撃する役目をもっているのです.さてダウン症ではこのリンパ球の数が少ないという報告があるのですがが,それもものすごく少なくて免疫力がほとんどないなどというようなことではありません.
「自然免疫」 私たちの体を病原体から守っているのは「獲得免疫」だけではありません.初めて感染した病原体に対しても,病気を起こすような病原体であればやっつけようとする力があるのです.我々の体には多くの病原体に共通するタンパク質や核酸・脂質などの分子の特徴(病原関連分子パターンといいます)を認識し対応する細胞があり,かかったことがない病原体に対する闘いの主力です.細菌を捕食し殺菌する多核白血球,細菌やウイルスが侵入するといち早く貪食し,処理した病原体の一部を抗原としてTリンパ球に覚えさせるマクロファージや樹状細胞,病原体におかされた細胞を殺すナチュラルキラー細胞,これらの仕事を助ける補体と呼ばれるタンパク質軍団,これらは昆虫以上の高等生物が病原体と戦いながら進化する過程で獲得した強力な防御機構で,獲得免疫に対し「自然免疫」と称されます.この「自然免疫」を担当する細胞もダウン症では少ないと言われていますが,全くないわけではありません.ダウン症では21番染色体が1本多いので,21番染色体上にある遺伝子は働きが50%増加します.スーパーオキサイドディスミューテース(細胞の中で活性酸素を減らす酵素)もその一つです.そのせいでダウン症では活性酸素のレベルが低下し,多核白白血球の殺菌力が低下するという説があります.顆粒球とも呼ばれる多核白血球は活性酸素の詰まった顆粒を捕食した細菌に浴びせて破壊するからなのです.細菌と白血球の壮絶な戦いは無数の白血球の屍をさらすことになります.これが膿と呼ばれるものです.皮膚などが化膿するということはそこに細菌感染症を起こっているということです.ですからブドウ球菌などのカタラーゼ産生菌(カタラーゼは活性酸素を分解する酵素)による化膿症がダウン症でなりやすい傾向にあると言うのも殺菌力の低下のせいだと言われているのですが..あくまで私の印象ですが,ダウン症の方々が特別皮膚の感染症にかかりやすく,重症化しやすいということはありません.サイトカインと言って感染を起こした部位の細胞が出すSOSシグナルを伝える物質があります.それに反応して白血球などが周りから集まってくるのですが,この白血球が移動する反応もダウン症では鈍いと言われています.多少はそうかもしれませんが,病的なレベルではないようです.白血球の接着などに関係するCD18というタンパクは21番染色体に遺伝子があるので多めに産生されている可能性があり,このためにダウン症の人の白血球の活動が影響されるとも考えられていますが,果たしてそうでもないという説もあります.
「総合的な抵抗力」 感染症に負けない力を抵抗力とすると,「自然免疫」と「獲得免疫」は2つの大きな戦力です.ですがそれだけではだめなのです.いわゆる「体力」が必要です.喩えはよくありませんが,戦争に勝つためには優秀な海軍と陸軍があるだけではだめで,国力すなわち,豊かな国土,人口,資源,農業や工業の生産力,高い技術,国民の忍耐力,安定した政治などが必要でしょう?ヒトの体に置き換えると,大きな体,十分な栄養状態,筋力,食欲,適切な自律神経系の働きなどでしょうか.それに清潔で暖かい療養環境ときめ細かな支援が欠かせませんね.さて,実際のところ,ダウン症の子供特に乳幼児では呼吸器感染や消化器感染症に罹患する頻度が高いと言われています.ウイルス性・細菌性のいずれもです.これが,ダウン症の人に言われている免疫力の低下によるものかははっきりしません.私はむしろ,気道の粘液産生が低いこと,口や咽頭,気管・気管支のサイズや形,強度といったものの影響が強いと思います.先天性心疾患の合併もさりながら,筋緊張が低く筋力が弱いとしっかり咳をできないので気道のクリーンアップができません.粘液の分泌も病原体をからめとって排泄するために重要な働きがあるので,分泌量の少ないダウン症では不利に働きます.このようにダウン症の子供では免疫力とは別の身体的なウィークポイントが感染症になりやすい問題の主な原因のような気がします.実際のところ,ダウン症の乳幼児期の死亡原因の主なものは先天性心疾患と肺炎です.抗菌薬の普及と医療技術・社会制度・環境などの改善の結果,肺炎の死亡率は劇的に減少しましたが.一般集団と比べてまだまだ高いのです.その理由は上にのべた免疫力ではなく,身体特性によるものと思われます.ただ判断がむつかしいところがあって,海外の研究では自宅に保護者とともに生活し良好な養育環境ですくすくと育ったダウン症の子は,施設で感染の機会も多い中で育った子供に比べ,感染症罹患率は低く一般集団と変わりがないとの報告があります.
一般的に免疫不全といわれる病気を持つ子供は,特定の病原体や感染症に繰り返し罹患する傾向があります.そのような傾向はダウン症にはありません.滲出性中耳炎に罹患しやすい傾向はダウン症の悩ましい問題ですが,これは特定の免疫力の欠損ではなく,ダウン症の子供の身体特性,すなわち中耳腔と鼻咽頭をつなぐ耳管が狭く,中耳腔の粘液を流し出す機能や中耳腔の圧を調節する機能が損なわれているのが原因です.
ここまでいろいろ免疫の仕組みからダウン症の問題をお話してきましたが,あらためて,乳幼児期にウイルスや細菌による感染とどう戦っていくかについて,まとめてみましょう.
1)ダウン症候群の子供たちでは,免疫力すなわち「自然免疫」と「獲得免疫」の力に大きな問題はない. 2)ダウン症児の身体的特性のいくつかが,感染症に罹患しやすかったり,重症化する要因となる.
さて,その上で感染症に負けない丈夫な子になるための対策を考えていきましょう.
①身体的特性で不利な状況を改善しましょう. 先天性心疾患の合併は最大の問題です.人により様々な心臓病を合併します.適切な診療を受け,感染予防の対策の指導を受けましょう.また,手術が必要であることは稀ではありませんので,積極的に判断しましょう.体格の小さい子,体重の少ない子はそれだけで体力的には心配です.感染防止に心を配りましょう.筋緊張の低いことや筋力の弱いことも不利な材料です.普段からよく赤ちゃん体操などでトレーニングをしておきましょう.
②ワクチンを受けましょう. 定期接種のみならず,任意の接種も積極的に受けましょう.ワクチンとは異なるものですがRSウイルスの抗体であるパリビスマブの投与についても主治医と相談してください.受けてはいけないワクチンはありませんし,その効果がダウン症に限って期待できないなどということはありません.
③健康的な生活を心がけましょう 水分や良質の栄養をしっかり取ることが大切です.食生活に心配りをしましょう.また,十分な睡眠をとることが重要です.日光浴をして規則正しい生活を送りましょう.また,皮膚を清潔に保つよう入浴やスキンケアを行いましょう.また,衣類,寝具など環境を清潔に保つことも忘れてはいけません.
④清潔で衛生的な生活をし感染を予防しましょう. 感染症の原因となる病原体は手指に付着したり,咳やくしゃみで飛散します.ダウン症のお子さんをケアする家族の衛生管理が最も大切です.食事の前後,おトイレの後,おむつを取り替えた後,帰宅した時など石鹸を付けて十分な手洗いをしましょう.うがいをしたり,お掃除をして室内環境を清潔に保つなど家族ぐるみで衛生環境をよくしましょう.また.家族が風邪をひくなどした場合はマスクや手洗いをしっかり行うようにしましょう.
⑤感染症に罹患したら適切な診療を受けましょう. 風邪などにかかった場合,二次感染として,中耳炎や気管支炎・肺炎などに進行する可能性があります.予防的に抗生物質を与えることは耐性菌の誘導にもつながるので一概には賛成できませんが,その判断を含めて慎重に医師と相談して治療を行う必要があります.また,耳鼻科医の診察も積極的に受けるようにしてください.ダウン症のお子さんは外耳道が非常に狭いので鼓膜の観察が小児科医の力量では困難なことが多く中耳炎の診断が遅れることがあるのです.お薬に関してはダウン症だからこれはだめというものは特にありません.ただ,抗ヒスタミン剤といって,風邪薬の中で鼻水・鼻づまりの治療薬はしばしば脳に作用して眠気を強くする傾向があります.小さな子では呼吸する回数や力を弱めるリスクがあり,特にダウン症では筋力が弱いので問題があります.また,鼻水の量が減った分だけ粘り気が増え鼻をかんでも出ずらくなったり,気道粘液(痰)の排泄の妨げにもなりかねませんので注意が必要です.強い咳止めも同じように痰を出すための咳を抑制しかねず,かえって空気の通り道の邪魔になる痰をそのままにして呼吸が苦しくなるといった問題を招きかねません.お薬はその効果をよく見ながら,かかりつけの先生と相談することが大事ですね.
⑥それでもみんなと一緒に成長しましょう. いろいろ,感染症に対する不安はありますが,感染症にかからず成長することは現実的ではありません.むしろ世間の荒波にもまれ,幾多の感染症を乗り越えてたくましく成長することが子供にとって重要なことです.体力がないから,体が弱いからと言って,ヒトとの交流や集団保育などにあまりに後ろ向きになってはいけないと思います.弱い弱いと思っていた子も小学校にあがるころにはあまり感染症で入院もしなくなるものです.免疫についてはあまりに神経質になりすぎないように,というのが私のお伝えしたいことです.
参考文献 1. 免疫系 Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8D%E7%96%AB%E7%B3%BB 2. Improved Survival in Down Syndrome over the Last 60 Years and the Impact of Perinatal Factors in Recent Decades. Emma J. Glasson, et al J Pediatr 2016;169:214-20 3. Management of genetic syndromes 3rd Ed. SB Cassidy, JE Allanson ed. 2010 Wiley-Blaclwell, Hoboken, NJ
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