天使病院小児科医師 外木秀文
III 乳児期から幼児期にかけて
パート4 ダウン症の幼児期の成長と運動発達
今回は幼児期の成長と発達について考えましょう.
ダウン症の子どもたちが比較的小柄なのは皆さん良くご承知でしょう.標準偏差という指標を使うとおよそ学童期までのダウン症児の身長の平均値はわが国のこども全体の成長曲線の-2SDを少し下回るあたりで推移します.すなわち男女とも1歳で平均71 cm (65 -77 cm),3歳では 88 cm (81 - 94 cm),6歳では105 cm(94 - 114 cm) (カッコ内は-2SD - +2SD)です.体重は1歳で平均8 kg (5.5 -10.5 kg),3歳では12 kg (9 – 15 kg),6歳では17 kg (13 – 22 kg) (カッコ内は-2SD - +2SD)といったところです(黒木良和 ダウン症候群患者の成長パターン:新先天奇形症候群アトラス pp422-426, 南江堂 1998).黒木先生の言葉を借りますと,以下のように要約されます.
① 出生時の体格は男女とも一般集団の正常下限である. ② 乳児期に急速に成長障害が目立つようになり,全指標で-1.5 – -2SDレベルを示す.個人差が大きい. ③ 幼児期は身長-1.5 – -2SDレベル,体重-1SDレベルで推移する. ④ 身長は10歳ころまでは-1.5SDで推移するが,体重は6-7歳ころから増加しはじめ肥満傾向になる.体重の個人差は大きくなる. ⑤ 男児10歳,女児8歳ころから成長の加速現象がみられるが,その後成長率は急降下しはじめ男女とも14歳ころには身長増加は停止する. ⑥ 最終身長の平均値は男145 cm 女141 cmである.
私が調べた他の文献からも成人期の体格は男性で身長150 cm前後,体重 50-60 ㎏,女性で身長140 cm前後,体重40-50 kgといったところでしょうか. 12歳ころから身長の伸びが急速に鈍ることが最終的な身長差に大きく影響します.これは今後の診療の課題と考えても良いでしょう. 乳幼児期に絞って考えると,多くの乳児がおおむね標準的な量のミルク/母乳を摂取できるようになります.離乳食のはじめはミルク/母乳以外の「液体」の味を知ることから始まります.水,果汁,麦茶などから始めますね.5か月くらいの頃でしょう.意外と大切なのは味よりも唇や舌に触れる感覚(触覚や温覚)です.冷たいもの熱すぎるものやまた,スプーンなどのプラスチックや金属の感覚も刺激になり,抵抗感をもたらすことあります.離乳食の開始時期は特別遅くすることはありません6-7か月になりそれなりにミルクを飲めていたら始めてみましょう.大雑把に言ってしまうと,基本的に普通のお子さんと大きな違いはないと考えていいでしょう.ただ,いくつかのコツがあり,知っていれば役に立つと思います.ダウン症の特性としての筋緊張の低下や小さな口腔という条件を考えると,小さ目のスプーンで少量ずつ与えていくことがポイントです.時間をかけて,焦らずに食事の質を上げていきましょう.以前にも紹介しましたが,武田康男先生のアドバイス http://www.jdss.or.jp/info/201709/20170929_2.pdfを参考にしていただけるとよいでしょう.しかしながら,実際にはなかなか離乳食を食べてくれない悩みのお子さんもいます.中にはミルクもあまり飲んでくれない子もいます.仕方がないので,鼻から胃までチューブを入れてミルクを注入せざるを得ません.理由はよくわからないことが多いのですが,筋緊張の低下が著しい場合,運動面の発達の遅れも顕著となり経口摂取と哺乳が困難となる場合があります.また,唇などの感覚が過敏な性質が災いして経口摂取ができない場合もあるように思います.専門的な対応が必要と思います.
幼児期後半すなわち5歳ころから体重の増加が気になるようになる子が結構います.肥満傾向の問題についてはまたのちの機会にお話しましょう.
ダウン症の赤ちゃんの筋緊張が弱いことについては,「IIダウン症の赤ちゃんが生まれたらパート4運動発達の問題」ですでに述べました.今回は少し違った視点から考えてみましょう.乳児の筋緊張を見るのには医師は「神経学的診察」をします.例えば,引き起こし反応というのがあります.こどもをあおむけにねかせて両手をもって引き起こそうとすると頭がついてくるかどうかを見るものです.また,子どもを反対にうつぶせにしておなかを抱えるようにして持ち上げると頭や足がだらんとするかどうかを見る方法もあります.(図).実は私たち大人でも筋緊張の低下を経験できます.例えばですが,深く眠っている人や泥酔した人を支えたり,抱いたりするのは大変でしょう?筋緊張が落ちてだらんとなってしまうからです.脳の活動が非常に低下していると筋緊張を維持できなくなるということがわかりますね.筋緊張があることは姿勢の保持のために必須なものです.電車の中で座ったまま居眠りしている人を見かけると,筋緊張の維持が無意識に行われていることがわかります.ただそのレベルは中枢神経がコントロールするもので,赤ちゃんでは成長とともに発達していきます.
図 引き起こし反応(左)と腹部懸垂支持(右)
脊髄反射の一つで腱反射というのをご存知でしょうか?膝のお皿の骨(膝蓋骨)の下をコンとハンマーで軽くたたくとつま先がぴょんと前に振れる反射です.このときハンマーで膝蓋腱をたたくと大腿四頭筋が急にひっぱられることになり,筋肉の中にある知覚受容体を刺激し,脊髄にある同じ筋肉を支配する神経の反射的な興奮を起こします.その結果,大腿四頭筋が収縮してつま先が前に飛び出す運動をするわけです.このような筋の伸展反射は非常に微細なレベルの刺激でも全ての筋肉におこるもので,これが筋緊張の基本的原理です.赤ちゃんは少しずつ筋緊張がついてきて,だらんとしなくなってきます.首が座り,お座りができるようになり,立ち上がれるようになる.このような姿勢を保つ力は普通,頭から足の方に向かって筋緊張がしっかり整っていく発達過程があることを示しています.脳が筋緊張を支配することは簡単に実感できます.先ほど例に挙げた膝蓋腱反射を行う際に被験者に左右の手を握り合って強く左右に引っ張って下さいと命令して,コンと膝蓋腱をたたいてみましょう.するとつま先が大きく振り出される強い反射がみられます.脳が両手の筋肉を強く引っ張るように命令すると,私どもの体は不器用なものでついつい余計な力が足にも入ってしまい,反射が強く出てしまうのです.
筋緊張の適正化には脳のいろいろな部分が関係しています.古い脳はもとより,新しい脳の代表である大脳皮質や小脳も関係があります.とりわけ最近注目されているのは,ダウン症では小脳の発達が悪いため筋緊張の低下がもたらされているという研究成果です.ダウン症の人たちでは小脳の大きさが通常の60%程度であるという研究者もいます.これは前回にはお話しなかったことですが,とても重要で,訓練に際して大きなヒントとなるものだと思います.
小脳は運動の学習やコントロールにかかわっています.複雑な運動や細かい運動ができるのは小脳の働きなのです.私たち何も考えず普通に歩きますが,スムーズに歩くのはとても複雑な運動です.足を静かに床に着地させ,反対の足で床をけるようにして最小限の動きで高く上げすぎることなく前に出し....考えてみると「歩行」はとても複雑で美しい運動です.これは小脳の働きなくしてかないません.筋肉の緊張を適切に変化させ,足や,足の指やひざの位置や曲がり具合を瞬時にかつ連続的に把握しコントロ―ルし一連の運動をおこすこと.これを一連のプログラムされた行動のテキストとして記憶しているところが小脳なのです.だから,練習に練習を重ねプログラムを修正し覚えこむ作業ができると,後は無意識にその行動ができます.歩き方が人それぞれで個性があるのはそのせいで,なかなか修正が効かないでしょう.野球選手のバッティングフォームの修正などという問題も小脳のプログラム修正が必要で,そうでなければいくら意識しても「悪い癖」が顔を出してしまいます.スマホの入力の時の指の動きもそうです.
小脳の機能を改めてまとめると,筋肉や関節からの深部感覚(位置情報)や内耳からの平衡感覚,大脳皮質からの情報をうけて,運動の強さや力加減,バランスを調節してスムーズな一連の動きを行うための運動調節機能を担っています.複雑な運動のコントロールセンターなのです.従って,小脳機能の発達の遅れや障害は,筋緊張の低下,バランスを取る能力の障害,スムーズな運動の障害として現れます.ということは,ダウン症の子どもたちの運動発達の遅れに大きく関与しているように感じられませんでしょうか.ですから,乳幼児期における訓練の基本として,筋緊張とバランス感覚の獲得は表裏一体なので,ひたすら筋肉を他動的に刺激してあげることが良いと思うのでね.これは以前に書いた通りです.ダウン症の方のぎこちない歩き方や,聞きづらいしゃべり方は単に筋力が弱いためだけに起因するものではありません.小脳の運動調節機能不足のためと考えると少しヒントが見えてきます.「話すこと」は最終的には一連の舌や唇やあごや,呼吸の「運動」だからです.「お」と「は」と「よ」と「う」がそれぞれ上手に言えれば「おはよう」と言えるかというと,そうではないでしょう?それよりも,実際には私たちの発音は「おはよぉ」だったり「おはよ」だったりしませんか?逆説的ですがあまり正しい発音にこだわらないで,言っていることをわかってあげることが大切ではないでしょうか?日本語を上手に話せない外国人を相手にしたと思いましょう.要するに言葉はコミュニケーションの手段の一つです.うまくしゃべらせるよりわかってあげようとする努力が大事です.バスに乗っていると奇妙な経験をします.バスを降りる客一人一人に運転手さんが「ありがとうございました」というでしょう?でもよく聞いていると「ありがとうございました」ときれいに発音している人は少数派です.中にはどう聞いても「ありがとうございました」とは決して聞こえない言葉を繰り返している方も少なくありません.私たちの脳が「ありがとうございますと言っている」と勘違いをしているのですね.体育会系の高校生なら「おはようございます」が「うぉーす」,「こんにちは」が「ちわっす」だったりするでしょう.小脳レベルで確立した「悪い癖」ともいえるでしょうが....現在のところダウン症の言葉のトレーニングには“これに限る”といったものはないように思います.今後は小脳機能に着目したトレーニングにも期待したいと思います.私は専門的な知識はありませんので特別なトレーニング法を提案できませんが,いくつかヒントになると思いつくことを挙げて稿を終えたいと思います.
1)手足の運動も発音もどちらも筋肉の「運動」です. 2)楽しみながら,あそびながら「運動」しましょう.気分の良い経験は脳に「良い記憶」として残ります.すなわち発達につながります. 3)歩き方や話し方の上達のためにはうまくできても,失敗しても「ほめること」です.失敗は上達のステップになるのですから. 4)悪い癖がついたといって無理に矯正しないこと.小脳は失敗を繰り返せば繰り返すほどそれをパターンとして残します.頑張っても,頑張ってもそう簡単には治りません.しかもネガティブな評価は脳によい影響を与えません. 5)悪い癖がついたなと思ったら忘れさせることです.「練習お休み」とか「違うことをして遊ぼう」です. 6)ダウン症でお話が得意な方にはしばしば幾分個性的なフレーズがあります.「やっぱりですね...」,「そうですね....」,「....なんですよ」,「....と思いますね,ハイ」などなど.理由はお分かりですね.言い始めと言い終りを小脳が得意とする決め台詞で挟むこと.その時にちょっとした「身振り」たとえば,軽く両手を合わせるとか,首をかしげるとか,の動作を組み合わせると体の動きと口の動きの連動したプログラムができます.試してみてはどうでしょう.
参考文献 黒木良和 ダウン症候群患者の成長パターン:新先天奇形症候群アトラス pp422-426, 南江堂 1998 武田康男先生のアドバイス http://www.jdss.or.jp/info/201709/20170929_2.pdf Ira T. Lott Neurological phenotypes for Down syndrome across the life span Prog Brain Res. 2012 ; 197: 101–121. doi:10.1016/B978-0-444-54299-1.00006-6. |