「こばと」181号
S いおなちゃん(H16.8.5生まれ、帯広市)
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札幌分会からの報告
茶話会 (記 三好) クリスマス会 (記 足助) |
▲和太鼓サークル「嵐」の熱演 ▲今年のサンタさん 勢揃い |
何が楽しいのか?小鳩会のクリスマスパーティー (記 菅原) |
▲ 坂本 直哉さん(北区 S60.5.26) ▲ ご馳走いっぱいの懇親会 |
保養センター駒岡一泊とパークゴルフ
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北海道小鳩会札幌分会で後援・助成した開催の報告です |
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さっぽろオ-プンカレッジ 藤田 三惠子 高等学校卒業後の年齢の知的に障がいがある人たちが集まって、いろいろな事を学ぶ場、知的障がい者のためのオ-プンカレッジは全国各地で大学が中心となって取り組みが行われています。大学のほかに親、福祉施設で取り組みを行なっているところもあります。当会北見分会では11月に第7回目が開催されその報告が180号に載っています。 札幌分会の後援・助成、札幌市手をつなぐ育成会の後援・助成、札幌市の後援を受けているさっぽろオ-プンカレッジは、昨年は1、5、9月に開催し、今年も1月に開催しました。「国際理解」(北大の留学生さんに母国の紹介をしていただきました)「美術」「ちぎり絵」、「福祉講座(旅行してみよう)」「工作」「紙粘土」「万華鏡」「ソーシャルスキル講座(危険から身を守る)」「タイルア-ト」「フラ-ワ-アレンジ」「コミュニケ-ション講座(社会の中でのコミュニケ-ション)」「書道」「折り紙」を学びました。その他に特別講座として「調理」レクとしてフットサルも楽しみました。受講生さんの笑顔に励まされスタッフも楽しく学べる場の提供を企画しています。 毎回受講生のみなさんは熱心に取り組み修了証を受け取る時の誇らしげな笑顔は、とても素敵です。 |
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ダンスクラブ(ピップフレンズ) 伊藤 郁子 高等養護学校卒業後の運動不足を心配した、ダウン症の親が集まって2002年に始めたのが大きい子のダンスクラブです。音楽に合わせて、歌ったり踊ったりするのが大好きで、天性のリズム感を持つ特徴を生かし、肥満予防にもなる・・という一石二鳥のクラブの仲間は現在21名になりました。 当初は、小鳩会札幌分会のXmas会で発表させてもらう事が励みでしたが、2005年から「北海道知的障がい者芸術祭・みんなあーと」へ出演するようになり、昨年は札幌市手をつなぐ育成会の行事(成人式・Xmas会・お祭り)でも踊らせて頂きました。 |
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一人立ちへ向けての取り組み 石狩市 I 郁子(亜希 S59.10.13) 亜希は、2010年5月(25歳8カ月)からケホーム「まあむ」で生活を始めています。 昨年、ケアホーム立ち上げにかかわった経過を茶話会で話して欲しいと依頼されてお話しさせて頂いた事を、会報に載せるので、と言われたので整理してみました。 亜希は、2003年に札幌高等養護学校を卒業後、石狩市にある「社会福祉法人・はるにれの里」ワークセンターポロレに通所して、パン作業をしています。 3人兄弟の長女で、職場や家での生活・余暇を自 分で決めて行っている(できない事は周囲にサポートしてもらっていても…)と思えるように心掛けて、条件が整えばいつでも自立できる様に考えて、生活をしていました。しかし、女性のGHはなくて、通所者でGHの入居希望者もいないし、それなりに充実した生活を過ごしていたので、具体的には何もしていませんでした。 2008年4月、弟二人が進学の為に家を出て、寮生活と下宿生活を始めました。 周囲の人に「淋しいね~」と、言われても「全然・・・」と、答えて元気に過ごしていた亜希ですが、11月頃から、朝起きられない事が度々おこり「頭が寒い」「目が開かない」等の理由で、遅刻や欠勤をする様になりました。 病院を受診した所、身体的問題ではなく、気力が無い状況…と言われます。職場や家で原因を探していた所、ある日の夕食中に「一人立ちしたい」と思っている事がわかったのです。父は反対しましたが、亜希は「2010年なら大丈夫かも…」と言いました。2010年が何時なのかも理解していないのに、私が準備するには丁度良い、笑ってしまうような一言で、亜希のGH入居への準備を開始すると決めました。 翌日から、亜希は嘘のように元気になり、私は、大人としての亜希の本当の気持に気がつかずに、親と一緒の生活を続けていた事を反省させられました。 はるにれの里では、GH(グループホーム)入居希望者は、メンバーを集め、建物の準備は保護者がしなければなりません。(法人が全部準備する所もあります)センターと、地域生活の職員に相談しながら、一緒に進めていきます。 2009年7月:最初に、保護者会員の中のケアホーム入居希望者を募りました。 ポロレでは、まだ女性のケアホーム(CH)がなかったので、7人が集まりスタートしました。 ・保護者自身が病気で入院する経験をして後回しにしていたGH入居を決めた人 ・現在トレーニングハウス入居中で、2年後には出なければならならない人 ・30歳を目途にGH入居を考にえていた人 ・高校の寮生活から直接GHに入居しても良い…、と考えたりしたが具体的にどうしたら良いかわからなかった人 ・いずれはGH入居を希望していて、色々考えて と、それぞれの事情は違いましたが、月一回で集まる事にしました。 具体的に設立する準備の初めに、もう一度、基本的な事の学習を行い、各自の希望や考えを出し合いながらGH(グループホーム)のイメージの統一をしていきました。 その結果 *形式としては、夜間支援があるCH(ケアホーム)とする。 *建物の準備としては①新築する②中古住宅を購入する③賃貸物件を探す等がありましたが、③で進める *自己資金が多額(?)にならない様にする。 *賃貸で探す場合の条件としては、①5LDK以上②家賃10万円程度③昭和57年以降に建てられたもの(耐震基準)④リフォームが可能である⑤セントラルヒーティングが望ましい⑥トイレが2か所あるのが理想。等を決めて、情報を集めました。 実際に数件の物件を見学に行きながら、 ・CHにする為に満たさなければならないリフォームの条件に合うか? ・我が子が生活する為に必要な条件を満たしているか? ・センターへ通所する為に可能な地域はどの範囲か? 等、一つ一つの物件を見学する事で、我が子の生活するCHの姿を各々でイメージしながら考える事が出来ましたが、丁度良い物件探しは簡単ではない事もわかりました。 センターでは、翌年の4月にCHの開設する為に必要な職員の雇用他の準備を進めてくれる事になり、準備会メンバーの意思確認もしました。 私達は、物件探しが難しいのを解ってきたので、焦らないで気長に探す様にしようと確認しあっていました。 2009年12月:6LDKの物件が見つかり、一気に立ち上げが進みます。 2010年1月:法人が賃貸契約をする事になり、入居者と部屋割については(優先順位と相性を考慮)センターに一任して、4名が決定。 二階にトイレと洗面所・手すり等のリフォーム開始。 2月からは、入居が決定した4名で、準備 を開始。共用の電化製品や・家財道具の購入、細かな決めごとや名前付けもしました。 *[MAMM(まあむ)]というのは、セクシーな名前が良い…と言う亜希の希望で、色々悩んで決めました(入居者の名前の頭文字を並べて…)。 3月:亜希の部屋の準備(カーテン・絨毯・ベッド等)開始 4月:スタート。まず二名が、入居を開始。 5月:亜希ともう一人の入居で、本格的にスタート。 というのが、一人立ちへ向けての経過です。 CH生活を始めた亜希は、毎日元気にいつもの生活(家にいた時と同じ)を続けています。 周囲の人も評価してくれるので「まあむで暮らしている」という事は、一人の大人としての亜希の自信となっているのでしょう。「表情が変わったね」と言われたりします。 泊まりの職員がいる時は、用事が無い限り帰って来ませんし、わが家の事を『実家』と言い、「まあむに帰る」と言います。父も当初は淋しかった様ですが、携帯でメールや電話をしてくるので、一緒に住んでいる時より会話しているかもしれません。最近、私に来る連絡は、お願いか、困った時の相談や質問がほとんどで、少し淋しく嬉しい…複雑な気持ちですが、帰省ノートで日常の様子がわかり、近くに行ったらちょっと寄ったりもしています。 私の心配がなくなる事はないのでしょうが、本人が「一人立ち出来ている」と思う気持ちを持って生活していられる事は幸せですし、目標通りに立ち上げられた事は本当にラッキーでした。まだまだ些細な事柄は職員と調整しながらの日々なので、これからも、亜希らしい一人立ちの生活を続けられる様にサポートして、親はできるだけ出過ぎない様に(これが難しい)心掛け、楽しく過ごしていきたいと思います。 自立とは、≪全て自分で行う≫事ではなく、成人として独立して社会生活を送る事を指す…のだとしたら、その為に必要とする支援やサービスを利用して、我が子を、自立させていく事を考えるのは、親の責任なのだと身をもって知りました。 |
函館分会からの報告
新年親子の集い 1月9日(日)10:00~14:00、参加者30世帯、70名の年間で一番のにぎわいの集いです。今回も御家族で元気に集まって来ました。一番の楽しみは、家族毎の近況紹介です。みんな温かい気持ちで一生懸命うなづきながら拍手を送って、それぞれの成長を喜び合いました。 昼食をとり、毎年楽しみにしている、マジッククラブ伊藤会長さんのマジックにホ-と感心したりで盛り上がって、楽しくビンゴゲ-ム、ジャンケンゲ-ムと、あっという間に時間も過ぎて、それぞれ参加賞などで喜んで下さったと思っております。 今年度の成人者は西 淳平君でした。分会から祝い品を贈り、函館ひまわり会より記念品を差し上げました。 役員の櫻井久代さん中心に大安さん、角さん、丸山さんと一生懸命頑張っていただき感謝しております。 (記 分会長 東)
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帯広分会からの報告
クリスマス会 (記 広瀬) クリスマス会 |
北見分会からの報告
クリスマス会
(記 横松) |
釧路分会からの報告
茶話会 (記 北本) |
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クリスマス会 (記 野澤)
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クリスマス会に参加して |
「成人式を迎えました」 |
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我が家の末っ子弦輝もとうとう成人式を迎えました。 先日、帯広市手をつなぐ育成会の「成人を祝う会」に出席し、皆さんに祝っていただきました。 緊張から動けなくなったりするところが小さい頃から変わらないなぁとため息をついたり、いやいやス-ツ姿はもう青年だなぁと感慨にふけったり。短い時間の中で様々な思いが溢れてきました。 さて、これからの人生は大人(??)になった弦輝ともうひと踏ん張り、歩んでいきましょうか!! |
「結唯が産まれて」 北斗市 S 亜木子(結唯 H21.9.6) |
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第一子である娘の結唯が産まれ、すぐにダウン症と知らされた時、私はそれを信じる事ができませんでした。しかし、お乳やミルクの飲み方があまりに悪い事、クタっとしてとにかく眠ってばかりいる娘の姿を見て、やはり普通の子ではないのだと自覚し、それから2・3日は夫と泣いたり、ダウン症について調べたりしながらすごしました。 産院を退院してからも結唯はミルクがうまく飲めず、何口か飲んでは苦しそうに顔をそむけ、また飲んではむせるといった状態で、何度も産院に相談の電話をしたりしました。 それから間もなく、心臓にやや大きめの穴が二つあいている事がわかりました。 ミルクの飲み方が悪かったのはその穴のせいで、このままでは2才までに手術をしなくてはいけないと言われ時、不安でしたが気持ちを強く持つように自分に言い聞かせました。 その後、心臓の穴は少しずつ自然に小さくなり、手術の必要もなくなってミルクもだんだん飲めるようになりました。 今、結唯1才5ヵ月になり、週一度療育学校に行っています。 まだ、心臓の穴は二つとも完全にはふさがっておらず、むせる事もあるのですが、それでもごはんをよく食べ、ずりばいをしておもちゃを投げとばしたりで、その元気な姿に「産まれた頃からは想像がつかない」と家族で喜びあっています。 だんだんと自我も出てきて、この先色々な問題なども出てくると思いますが、小鳩会のみなさんのお話を参考にさせていただきながら、娘の成長を受けとめていきたいと思います。 親バカ者ですが、どうぞよろしくお願いします。 |