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きょうだい達のメッセージ


標茶町 佐藤さんの息子さんより


 皆さんは、障害者を見たらどう思いますか。なんとなく、避けたりはしていませんか。それとも、 障害のない人と接するときと同じように接していますか。

 僕は、障害のない人と接するときと同じように接したいと思っています。それが、一番大切だと思うからです。

 実は、僕の弟は障害者です。

 ダウン症という病気なのです。弟は、物を覚えたり書いたりすることが苦手です。しかし、そんな弟でも、少しずつですが成長をしていると僕は感じています。友人や先生と話す機会が徐々にではありますが、確実に増えてきています。

 それは、小学校・中学校と障害のない友達と同じクラスに学び、先生や友達の温かい気持ちに囲まれて過ごすことができたからだと思っています。  このように、少しずつ成長している弟ではありますが、それでも大きな問題が二つあります。そして、この二つの問題は、とても大きく重要な問題だと僕は考えています。

 一つ目の問題は、弟が自分の意見を言えないということです。

 もう一つの問題は、少しでも難しいと感じたときにすぐに周囲に助けを求めてしまうことです。この二つの問題について、僕は、弟に何度も注意してきました。

 「○○(弟の名前)、言いたいことは、はっきりと言ってみろ。」「この位は、一人でやってみろ。」 と。しかし、その度に弟は、黙り込んでしまうのです。厳しく接すれば接するほど弟は、黙り込んでしまいました。きっと、僕を嫌っていたのだと思います。

 そんな弟も今年で高校生になりました。現在は、中標津高等養護学校に通っています。しかし、小学校・中学校と障害のない友達と同じクラスに学び、先生や友達の温かい気持ちに囲まれて成長してこれ た弟には、地元の標茶高校で学ばせたいという家族の思いがありました。それと同時に、弟を初めて手放すことへの不安や、もし仮に標茶高校が弟を受け入れてくれたとしても、そこでやっていけるのだろうかという思いもありました。

 しかし、結局弟は、現在中標津高等養護学校に入学し、学校生活や寮での生活をとても楽しんで生きています。

 今年の夏休みの宿題を見たときのことです。誰かに教えてもらった訳でもないのに、すでにほとんどが埋まっているのです。これには、本当に驚きました。そして、とても嬉しくなりました。なぜかというと、今まで必ず親や僕がついてやっていたのに、今回のようにできたことを見たことがなかったから です。

 寮生活では、特に友達とゲームをしたり、先生方と一緒にバスケットボールをしたりするのが楽しいと言っていました。今でも、週末になり、弟が帰ってくるとキャッチボールやサッカーをするのですが、 何となく今までよりも生き生きと遊んでいるように見えます。

 寮生活は、今までとはまったく違う環境です。親も兄弟も中学校までの友達も誰一人いないのです。 弟のにとっては、寂しい面もあるのではないのかなと僕は内心、気にはなっています。しかし、こういう環境だからこそ、弟が抱える大きな二つの問題を解決できるチャンスがあるのかもしれません。

 たまに帰ってきた弟を見ても、先に述べたことくらいで、今はまだ大きく変った様子は見られません。しかし、たとえ人一倍時間がかかろうとも強くなった弟を見てみたいという気持ちが強くあります。そう思って毎日を過ごしていたときに、一冊の本と出会いました。『五体不満足』という本です。ご存じ のとおり乙武洋匡さんが書かれた本です。僕が一番驚いたのは、乙武さんが養護学校に行っていなかったということです。

 皆さんは、障害者=養護学校と結びつけてはいませんか。これまで、弟のことをいろいろ述べてきま したが、実は、僕もそう考えていた一人です。もちろん、養護学校は必要な学校です。しかし、僕を含め多くの人達は、養護学校を自分たちとは何かが違う別の人が通う学校だと思い込んではいないでしょうか。

 この本の中て僕が共感をもった一言があります。

 『障害者に慣れろ』という言葉です。僕なりにその意味を考え、こんな風に理解をしてみました。

 慣れには二つの慣れがあると思うのです。一つは、障害者とふれ合う中で、障害者と障害を持っていない人とはそんなに違いがないのだと感じ偏見なく障害者と接することができるようになる『慣れ』です。二つ目は、障害者とのふれ合いが多くなればなるほど、障害者がちよっと困っているとすぐに手を貸してしまうという『慣れ』です。この二つ目の『慣れ』は、僕もそうであったものです。それが、大切なことだと思っていましたから。しかし、乙武さんの本を読みそれが間違いであることに気づいたの です。それをここで僕は皆さんに伝えたいと思います。

 確かに手をさしのべることは大切なことです。しかし、障害をもった人が本当に助けを求めているのかどうかを見極めなければならないということです。そして、求めていないのであれば、まずはそっと見守ることです。本当に助けを求めていたら、手をかすのです。そうしないと、障害者が折角自分で何かをしようとしている事をつぶしてしまうことになりかねないのです.。障害をもっている人にとって何より大切なのは、自立する心です。僕が弟に接していた態度を振り返ると、「自立しろ」「自立しろ」 と言いながら、何でもすぐに手をかして弟の自立を妨げていたのかもしれません。最後に僕が、弟のことをこの弁論で述べようと思った理由を皆さんに伝えたいと思います。

 僕の中には、障害者に対する偏見がありました。先にも述べたように弟の本当の進学希望先は、僕が通う標荼高校でした。しかし、僕は、それが嫌でした。弟のことをあまり友人に話したこともありません。家族も同じでした。話せなかったのです・・・自分のことばかりを気にして。

 僕は、今障害者に対する偏見が全くなくなったとは言い切れません。しかし、この青春メッセージで僕の気持ちを話したときから、僕の障害者に対する考え方がはっきりと変わり始めています。僕は、弟の成長を期待し、自立を期待してきましたが、実は、最も自立しなければならなかったのは、僕だったのです。障害をもった弟が、今少しずつ成長していることを心から喜ぶことができる自分になりたいと思いますし、そんな弟を誇りに思える自分でありたいと僕は思っています。

(平成12年度NHK青春メッセージ参加原稿 題名『20世紀最後の告白 僕的自立論 弟の成長を見つめて』より)

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本当の幸せとは
Tさん(中2)

 私には弟がいます。弟は小学校5年生ですが、みんなとちょっと違います。それはなぜかというと、弟はダウン症と言う障害を持っているからです。

 私の弟は、相手の言うことは理解できますが、上手にことばを伝えることが苦手です。私たちにとっては簡単なことでも、弟にとっては難しいことがたくさんあります。でも、何もできないのではなくて、ちょっとした手助けができることや、日々の努力や積み重ねによりできるようになることがいっぱいあ るのです。確かに弟は、私たちにくらべるとその成長はとてもゆっくりかも知れません。しかし、時間がかかる分、できたときの喜びは私たち家族も弟もとても大きなものです。

 弟はよく笑います。それも、とびっきりの笑顔で…。そんなとき弟を、本当に可愛いなと思います。その笑顔に励まされ、母も私も強くなれたのだと思います。弟には、こんな優しいところもあります。 私が元気がないと、心配そうに顔をのぞき込み「大丈夫」と言って、頭をなぜてくれるのです。

 弟には純粋で温かい心があり、人を和ませてくれる不思議な力があるように思います。だけど、可愛いときばかりでもありません。弟はとても自己主張が強く、頑固なので、素直に私の言うことが聞けな いことがあります。そんなときは、本当に腹が立って「こんな弟はいらない。」と思うことがあります が、やっぱり私にとって弟は,かけがいのない存在なのです。

 この様に私たち家族は、弟との生活を当たりまえに過ごしています。

 弟が生まれるまで、障害を持った人たちとは全く縁がなく、別の世界のこととしてかわいそうだと思っても、本当の意味でその人のことを思いやることなどなかったように思います。

 共に生活してみると、障害イコール特別なことではないと言うことに気づかされました私にしてみれば、たまたま自分の弟が障害児というそれだけのこと…。

 しかし、障害を持っていると言うことだけで、人と違う見方をされてしまうことがあるのです。

 たとえば、弟と歩いていると時々好奇な目でじっと見てくる人がいます。そんなとき私は同じ人間としてとても悲しい気持ちになってしまいます。家の外に出たとたん弟は、「私の弟」ではなく障害を持った私の弟になってしまうのです。

 世の中には、様々な障害とたたかっている人がいます。一人一人が私たちと同じように、いえそれ以上に精一杯生きているのです。

 私は、みなさんにお願いがあります。障害があるのはその人の一部であって全体ではないと言うことを知ってほしいのです。ですから、かわいそうだと何もできないとは思わず、一緒に歩んで欲しいので す。歩くのが遅い、ことばが出るのが遅い、勉強ができない、それはみな、個性であると思うのです。 確かに弟の歩みは、人より遅いかも知れません。

 しかし、弟は弟。ゆっくり歩んでいけばいい。私もこんな弟と、成長していきたいと思っています。

 弟は、私たちが忘れかけていた大切なものを届けに来てくれたように思います。歩くことができると言うこと、喋ることができると言うこと、そんな当たり前のことが、実はとてもありがたいのだと言うことを弟から教えられました。

 本当の幸せの意味を教えてくれた弟に、「生まれてきてくれてありがとう。」と言いたいと思います。

 弟から受け取った、目には見えない心のバトンを、私はしっかりと持って走って行こう。弟が一生懸命生きていることを、みんなに伝えていこう。
いつかバトンを次の誰かに渡す事ができるように。

 (航平君(小5)のお姉さんが学校の文化祭で発表した作文です)

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第5回日本ダウン症フォーラム2000 in 埼玉に参加しました
Fさん

 10月14,15日埼玉県立大学(越谷市)で開催された第5回日本ダウン症フォーラムに娘(26歳)と参加してきました。当会の会員は4家族参加しました。

 一日目は午後3時から交流会が行われましたが私達は少し早めに会場入りしました。会場はとて も明るく、ゆったりしたスペ−スのすばらしい所でした。体育館の展示ブ−スのパソコン体験コ−ナ−で当会会員でJDSN委員の北澤さんと・三好さんの二人のお父さんがお忙しそうに準備をされて いました。

 展示ブ−スには親の会、子ども達や作業所の作品、JDSNのコ−ナ−等々の展示を準備していまし た。

 交流会では食事をとりながら娘も私も全国から集まった方達と親しくお話しできる年に一度の機会を十分に楽しみました。後半にはアトラクションで埼玉のお母さん達の有志が人気の「おはロック」を披露。その迫力に会場はますます盛り上がりお母さんパワ−に感心してしまいました。楽しい交流会でした。

 二日目は講堂で最初に基調講演、金沢大学法学部井上教授の「障害を持つ人の独立と社会参加のあり方について」。次にパネルディスカッション第1部「受容と教育、そして社会的自立を目指して」。行政(教育局)、親の会、雇用主、施設理事長他の方がそれぞれの立場で意見交換がなされました。

 その後は本人達の「社会に出るまで、そして社会に出て思ったこと」をテ−マに主張が行われ高 等部3年の男子は実習しても就職先がない。自分達も頑張っているので国会の偉い人にも頑張って欲しいと述べました。就職先移転で退社し今は作業所に通っている青年は今は親と暮らしているか ら良いが親がいなくなったら、僕はどうしたらいいのかナ−、お母さん考えてくれているのかナ−と締めくくりました。ディケア施設通園の女性はダンス、手芸等の余暇について、通所授産施設で印刷の仕事を12年続け、今は軽作業従事の男性は将来は警察官になりたい(でも本当は石原裕次郎のようにカッコイイ人になりたい)と言って会場を湧かせました。

 パネルディスカッション第2部「知的障害者の社会的自立と就労における問題と課題」。第1部のパネラ−方達の中で行政の方が労働局の方にかわり就労問題について話し合いが行われました。

 午後は小さな子から青年まで本人達の一芸披露大会。ピアノ、ダンス、器楽等の熱演に会場は拍手の渦でした。続くフィナーレには時間の都合で参加できませんでした。

 今回のフォーラムは親子で楽しめました。実行委員の皆さんのご尽力の結果です。

 来年は10月に金沢で開催が決まりました。皆さんも仲間に会いに行ってみませんか。

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