僕たち私たちスポーツを楽しんでいます
元気にスポーツを楽しんでいる会員の子供達の様子を紹介します。分会で開いている教室の様子の紹介もあります。今回はスポーツの紹介ですがこれからいろいろな事に挑戦、楽しんでいる子ども達を紹介していく予定です。こんなことしていますという原稿ぜひお送り下さい。
毎月、第2週目と第4週目の日曜日にストレッチを兼ねたジャズダンス教室に通っています。午前10時住吉ライブラリー、多目的ホールに着きますと、レオタード姿の生田千代子先生が待っていて下さいます。年齢不詳とにかく美人で明るく、柔らかな神戸言葉で、話しかけてくれる先生です。
まず、ストレッチ・・ゆっくりとしたペースで進んでいき、途中でこの体操は肩こりに良く効きますとか、生理痛に効きます等、説明しながら約30分位行われ、体が解きほぐされたところでジャズダンスに移ります。子供達の大好きな曲『だんご三兄弟』『ウンパカマーチ』『0点チャンピオン』『シャナ・ナナ』に振り付けをして下さいますので、子供達は大喜びで踊りますが、親はなかなかステップが覚えられなかったり、リズムに乗り切れなかったりしていますが、体を動かした後のすがすがしい汗をかく事ができます。その後は2人1組になってのストレッチに「ウーンいい気持ち!」とか、「きくー!」とか、思わず声が出てしまいます。
こうして、1時間半の教室が終わる頃には程よい空腹感と共に解散となります。参加人数は日によって違いますが、とても楽しい会ですので、長く続けていきたいと思っています。
将和は、特学の3年生です。幼稚園の年中の時から、スイミングスクールへ週1回通っています。通っていた園の指導の中に民間でのプール学習があり、お友達と一緒に通えたことで『プールが大好き』になりました。そしてコーチの皆さんとの交流や理解を得ることができ、卒園後も通えることになりました。5年になりますが、春、夏、冬休みと小学校に入ってからは体調をくずし実質は3年位です。
プールへ通っているせいか最近は、とても丈夫になったような気がします。また、嫌いだったお風呂でのシャンプーも一人で出来るようになりました。小学校に入ってからお友達と時間帯がことなり不安もありました。いつものお友達ではなく知らない人ばかりなので、心配した通り最初の頃、からかいやいやがらせがありましたので、何度かスクール側へ話そうかと考えましたが、これも、将和の試練と思いとどまりました。まだ、初心者クラスなので初めて入ってくる度からかいもありますが、将和もかわし方がうまくなりすぐよくなります。長く通っているだけで、まだ、型通りのクロールは出来ません。それでも、3ヶ月に1度の進級テストの時は少し期待を持ってしまいます。
ドラえもん体型の将和の少しでも運動不足の解消と気分転換になってくれればと思っています。そして、何よりも健常児との関わりが少なくなった今は、とても良い刺激になっています。初級クラスで一番身体の大きい将和ですが・・いつか大好きなイルカの様に泳げる事を願って続けられる限り、通いたいと思っています。
2000年が明け、今年は何かスポーツを始めてみませんか? ダウン症の皆さんは、一般的にとてもリズム感が良く体を上手に動かしますが、スポーツに関して、意外と苦手だったり、不得意の方が多いように思います。
敬太(15歳)も、リズム感は抜群(親の欲目)ですが、スポーツは大嫌いでした。スポーツとの出会いは3歳の時でした。養育センターの先生の勧めで水泳を始めたのが始まりです。
スキーとの出会いは、小学校4年生の時、帯広市主催の障害児(者)スキー教室(3日間)への参加でした。やはり、初めはスキー靴での歩行が困難でその上スキーを付けるとはとても無理、スキーを履いて先生におんぶをして滑るという、何ともおかしなスタイルでした。
その小学校時代の3年間のスキー教室では、スキーの足金具に紐をつけ後から介護されながらも上級コースより、「奴凧」のように滑られるまでになりました。その後、残念ながら地区外に転居したため、障害児(者)スキー教室には参加できず転居先には教室がなく、お父さんか、スキー場のインストラクターの先生に頼み滑るという状態になり、機会が少なくなりましたが、先日、中学校の校長先生との会話の際、先生自身以前、障害児(者)の指導者でスキーのインストラクターの持ち主で有るとのことで、早速敬太のスキーに金具を取付けて下さり、日曜日には忙しい中スキー場(芽室町嵐山スキー場)で主人と共にスキー指導してくれました。とても楽しかったようです。
歩くスキー(クロスカントリー)は小学校で始まり、あまりにも敬太の足が小さいため新しいセットを用意した様でしたが、(その後、その小さなスキーはどうなったのか)先生方の誠意も空しく小学校卒業と共に御無沙汰していましたが、先日、クラブ(自由旅団)の行事でクロスカントリースキーの講習会があり参加したところ2K完走、(小学校時代は1Kも無理でしたが……)2月6日には十勝大平原国際クロスカントリースキー大会5Kに参加予定、完走目指して挑戦します。
アウトドアスポーツは自由旅団というクラブとの出会いでした。障害者と健常者が共に、アウトドアスポーツを楽しもうというクラブです。年齢・性別・障害を気にせず仲間と一緒に楽しむという会費・会則もなく自由参加など、私たち家族にとり地方に移り一番の楽しみになりました。クラブでは大勢の方々やボランティアの方そして協賛団体の方々に協力していただき楽しみことが出来ています。
スポーツをすることで、敬太自身新しいスポーツの出会い、そしてスポーツを通じての自分自身との出会い、また限りなくステキな仲間達との出会いがあります。
次は、どんなスポーツに挑戦しましょうか、そして出会いを大切にして行きたいと考えている昨今です。
親子で水泳を始めたのは17年前、英司3歳の頃でした。仮死状態で生れ、心臓障害もあり、短命と告げられた事から考えても、到底スポーツとの縁は無いものと思っていました。風邪をひいては肺炎となり、入退院を繰り返していたものでした。そこで医師と相談の上、皮膚鍛練をして風邪をひきにくい体づくりをしてみようと思い立ち、始めたのが「水泳」でした。はじめた頃は泣き叫び自家中毒をおこすほどひどいもでしたが、めげずに年月を重ねるごとに辛さが楽しさにそして快感に変わってきて気がつくとすっかり親子共に“水の虜”になっていました。(ちょっとオーバーかな?)
水のパワーは恐るべし!!正に命の懸け橋となりました。知的障害児を持つ親たちが熱き思いで結束して「函館つくしんぼの会」を結成するに至り、その会も15周年を迎えることになりました。いろいろな道のりがありました。でも、ここまでこられたのは「継続は力なり!」と信じてきたからだと確信し実感しています。
昨年、会を卒業しフリーになりましたが身体で会得したことは、失われることはないと信じ、今後はゆっくり、のんびり、生涯スポーツとして今まで以上に楽しみながらマイペースで「水」とかかわってゆきたいと思っています。
何事も具体的に動いてみることが大事かと思いますよ。そこから何かが始まります。変わってきます。きっと……。みなさんも“水とともだち”になってみませんか・・・♪
水泳を始めて(小学校2年生)17年目になります。水の大嫌いな直子でしたが、水の楽しさを知り、その年第1回ハンディキャップ大会江別に行きました。
水中歩行とビート板キックに出ましたが、一生懸命に泳ぐ姿を見て、目頭が熱くなり、涙をこらえながら応援した事を今でも忘れません。
週1回の教室で、クロール・背泳ぎも泳げるようになりました。又、年2・3回の記録会で自己記録を積み、練習の成果を見てもらいます。
その後、北海道の代表として、『1994年10月第3回ゆうあいピック全国大会 群馬大会』『1996年9月第4回ゆうあいピック全国大会 札幌大会』と、ハンディを持った子が2度も全国大会に出場できた事は、大会そのものよりも、17年間頑張って続けてこられた事、家族の理解と友達・仲間との励まし、教室で指導して下さった先生やお母さん達、そして、直子本人の頑張りによるご褒美だと思っています。
「 継 続 は 力 な り!」
これからも、健康の為・友達の交流の為、頑張って水泳を続けたいと思います。
現在はバタフライを指導して頂いていますが、将来は4泳法マスターできたら・・・と思っています。直子は現在24歳になりました。
「あせらず・あわてず・あきらめず」
今から17年前になるでしょうか、友達に「プール教室があるけど、行ってみない。」と誘われました。
その頃の滋巳は体力なく、カゼ引きやすく、“心臓の心室中隔欠損症、加えて大動脈弁閉鎖不全”と医師に宣告されていました。そこで、担当医師に相談したところ「お母さんが目を離さないように注意し、チアノーゼが出たらプールから上がること。」と条件を出されました。
滋巳はもちろん、親の会もプールは初めてなので不安でしたが、『函館つくしんぼうの会』に入会することにしました。滋巳が7歳の時でした。
初めは水に慣れるということで、親子で先生と一緒にプールの中で遊ぶことが主でしたが、プールを怖がり、泣きわめき、逃げ回り、しがみつく。家に帰って自分の体をみるとあちこちに赤あざが付いている。「プールに行こうね。」と言うと大便を漏らす。といった状況が1年くらい続きました。
しかし、少しずつプールに慣れてきました。8歳の時に第1回江別ハンディ大会があり、水中歩行に参加した時は歓喜のあまり涙を流して応援しました。月日は流れ、高等部の時には第1回東京ゆうあいピック全国大会があり、背泳ぎとクロールで参加することが出来ました。私たち夫婦も滋巳のお陰で十数年ぶりに東京見物を兼ねることが出来ました。第5回の札幌大会にも参加し、家族総出で応援に行きました。
滋巳を見ていると、7歳の時から17年間ほとんど休むこともなく、現在は個人メドレーに挑戦し、週1回の練習日が来るのを楽しみ・励みに仕事に頑張っているといった様子です。
心室の穴も成長にしたがって自然に塞がり、冬でも家の中ではTシャツ1枚で過ごしている、水泳大好きな、今年満25才を迎える滋巳です。
FDIサッカースクールは、FDIスポーツサポータークリアというボランティア団体が運営している知的な障害がある方達のサッカースクールです。(有料)
小学生クラス、高校生以上のクラスがあり、中学生はどちらのクラスにでも入られます。
『北海道サッカーアカデミー』(コンサドーレ札幌初代監督・高橋武夫氏代表)に指導していただき、多くのボランティアの方々の助けを借りて、みんなでスポーツを楽しんでいます。
1昨年の12月の1日サッカー教室が始まり、翌1999年1月10日、FDIサッカースクールが始まり、早くも1年が過ぎました。
昨年の2月までは月2回、3月より週1回、専任コーチ、クリアのボランティアコーチ、補助ボランティアの方々と一緒にサッカーを楽しんでいます。
毎回の練習は、ストレッチ、基本練習、ミニゲーム、運動遊び(シッポとりゲーム、フットベースボール等)で高校生以上のクラスは、他のチームとの交流試合や競技大会にも参加しています。
宏樹も初めからサッカースクールに参加しました。今はとにかくスクールの日が楽しみで、貼ってある日程表を見ては、スクールの日を首を長くして待っています。サッカーボールは1昨年のサンタさんのプレゼント。昨年の秋には、室内用のサッカーシューズ・ボールや靴の入るリュックサック、サッカーソックスも買ってもらい大喜びでした。
初めはサッカーに集中できずにいた子ども達も、ありのままの子ども達の姿を、ゆっくり、ゆっくりと見守って下さるコーチ、ボランティア、そして親達のあたたかいまなざしの中、少しずつサッカーに集中し、サッカーを楽しむことができるようになってきました。
宏樹もいろいろな基本的なトレーニングを通して、初めはぎこちなかった動きがだんだんなめらかな動きへと変わっていきました。ボールさばきひとつとっても、両足を上手に使ってとてもスムーズに操れるようになりました。シュートもゴールを狙って強く正確に打てるようになりました。ミニゲームでは、みんなで一つのボールを追いかける楽しさ、シュートしてゴールに入った時の喜びもわかってきたようです。練習の最後に行うミニゲームを「きょうもゲームあるかな?」と毎回とても楽しみにしています。
障害を持った方々にも、青少年期にスポーツの楽しさ、スポーツを通していろいろな経験をしてほしいという願いから出発したこのスクールです。
サッカーの他にも、いろいろな活動に取り組んでいます。宏樹も昨年3月トマムでのウインタートライアスロンで雪の上でのラン、自転車、歩くスキーに初めて挑戦し、1時間10分かけて頑張りきりました。また、8月には早来でのJr.トライアスロンにも参加、この1月にはクロスカントリースキーの1日体験講習会もあり、真駒内公園の3kmコースを1周し、気持ちのよい汗をかいてきました。 スクールに参加するごとに、スクールに来るお友達同士の仲間意識も出てきたようです。昨年11月の札幌の特学の合同宿泊学習があった時にもスクールのお友達がいたそうです。家に帰って来てすぐうれしそうに報告してくれました。少しずつ友達の輪が広がっているのをうれしく感じました。
これからも、サッカーばかりでなく、いろいろなスポーツをみんなで一緒に楽しめたらと考えています。