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みんなアート2006ステージ部門 グランプリ受賞!!

岩内町 A 邦子(友香 S59.7.16)

 今年も北海道知的障がい者芸術祭「みんなアート2006」が9月7.8.9日の3日間、かでる27で開催されました。こばと会の中学生以上を対象としているダンスクラブ「ヒップフレンズ」が昨年に続き参加、見事グランプリに輝きました。
 思っても見なかった受賞に子どもたちはもちろん親たちも大いに喜び、盛り上がりました。
残念なことに、私達親子は岩内からの参加で受賞を待たずに帰ってしまい、その後の集まりの中で様子を聞きました。
 娘友香について、卒業後もなんらかの形で同じ年の子達と交流し続けたらいいなと考えていた時に、高等養護が同じで同期のおかあさん伊藤さんに声をかけてもらい、ダンスクラブに入りました。岩内から2時間、冬は吹雪くので休んだりと、毎回参加出来ませんが、無理せず来れる範囲で参加しています。それが長続きの秘訣と思っています。
 ダンスの講師は友香が卒業した高等養護の先生ということで気心が知れているのと、なによりも皆の性格を理解して接してくれるので、とても安心しています。
 今回のダンスのテーマ、「ひとりひとりが互いを思いやり、感じながら踊っていく中で仲間という意識が芽生えていくパフォーマンス」です。みんな思い思いのフリで、楽しく、時には真剣に頑張りました。その中でそれぞれの個性も見られました。しかし毎回みんなフリがちがい、見ている私達は本番どうなるのだろうと楽しみと不安が入り混じっていましたが、そんな親たちを尻目にやってくれました。やっぱ本番に強い子たちでした。

 踊っているときは、みんな主人公、自分が一番、いきいき輝いていました。
会場からもオオーと歓声と手拍子があり、その声援にまたまたノリノリのみんなでした。

みんなぁおめでとう、そして感動をありがとう。


みんなアート2006の展示部門でも
絵画で手稲区のS 章博さんが北海道知的障がい福祉協会会長賞、
南区のO 太君が審査員特別賞を受賞しました。


釧路市 I 純くん(H5.7.7)

(お母さんのコメント)

 中学生になって半年が過ぎました。昨年難病連集会でのドーム観戦以来の「日ハム」ファン。日ハム優勝に親子共々優勝に酔いしれています。
 水泳もクロール25メートル完泳できるまでに何とか上達しました。筋肉もりもりになりたく「マッスル、マッスル」と口ずさんでいます。相変わらずおふざけの様子で写真におさまっています。


根室市 S 喜枝子(翔太 S63.12.20)

 小鳩会の皆様お元気でいますか。例会になかなか出席できずにいます。
 幼い頃は頑張って育てていたせいでしょうか、小中学生の時とちがい、今、もうすぐ18才になろうとしているせいでしょうか、どうしても遠のいてしまうんですね。
 中標津高等養護学校も、あと半年で卒業です。この8月・9月は就業体験期間で家からの決められた所への通所、もしくは入所日程のため3年生は休学日となってました。市内の「希望の家」厚床のすずらん学園へ通所していました。持ち前の陽気さと頑張りのやる気さで、その日与えられた作業を無事に終えることが出来ました。
 本人は満足感で一杯です。給食での嫌いなものも完食でき、挨拶も堂々と上手に言え、一緒になって皆さんと仲良くできた事等など、日々の知らされた日誌に目を通していると、成長していたことが感じられます。
今年の夏は、翔太の“親友”Y君家族と虹別の方へキャンプに出かけて来ました。夜は二人のお得意の歌と踊りでおおいに笑わさせてもらいました。

 就業体験の済む10月まで逢えません。それまでの電話のやり取りも、物足りない二人のようです。
9月17日、Y君家族が我が家に遊びに来てくれました。釧路と根室、遠いんですよネ。二人は感激し合ってのご対面となって嬉しさで一杯でした。
もうすぐ卒業、それぞれの道が待っている二人。これからも時々は逢わせてあげたい、話をさせてあげたいと母二人は願っています。
共に12月生まれの18才になるその月も、寮生活の中で多分ダジャレとジョ−クでこけ合って楽しくやってくれるでしょう。
何はともあれ、二人らしく、そして健康であってくれれば…と家族は願っています。

函館市 T 明美(銀次郎 H15.2.25)

 こんにちは。息子 銀次郎は今夏、3歳6ヶ月になりました。生後1ヶ月にダウン症及び軽度のVSDと診断され、成長が通常より2倍かかるという説明のみで始まった子育ても、生後2ヶ月で小鳩会に入会して、先輩お母さん達に色々話しを伺えたおかげで、精神的に“ゆとり”を持つことが出来、とても感謝しております。
 近況としては、1歳8ヶ月で歩き始めて喜んでいたのは束の間、言葉の問題が予想以上に大きく現れてしまい、自己表現が上手く伝わらない等で、激しく頭打ちをし、一時おでこに“ツノ”が生えた様になる程でしたが、昨年9月より言語訓練を始め(まだ正しい日本語は、ほとんど出ていませんが)銀次郎語?を喋るようになり、以来少しずつ頭打ちは減りホッとしています。
 銀次郎を通して見直すと、普段話している日本語が、難しく話せる方が不思議に感じるので、言葉の問題はまだまだ続きそうですが、何事も銀次郎のペ−スで、ゆっくりと確実に覚えていってくれたら幸いと思っております。


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