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岩内町 A邦子さん(友香 S59.7.16) 

 20歳になって

 今年の7月で娘友香は20歳になりました。

 昭和59年7月長女友香の誕生は私にとってとても必然的なものだったと思います。

 顧みますと、1歳9ヶ月で保育所に入れる為の働きかけ、幼稚園1年、小学校の普通教室へ、中学校での出来事等々。苦楽を家族の支えを得ながら乗り越えて来たように思います。

 最後の学校生活、札幌の高等養護での生活は娘と私にとってとても貴重なものでした。学校卒業までの17年間我が子ながらよく頑張ったなと思います。たくさんの刺激を受け、頑張ってきた娘に「もういいよ、もうそんなにがんばらなくていいよ」と心の中で叫んでいました。

 卒業後は、娘と2人学校で学んできた牛乳パックの再生紙作りや、ねば熟(長野県)から石鹸をわけて貰って包装、販売等を我が家の玄関の一角で店開きしています。これは、娘が生まれた時からの夢で、2人で何かしたいと考えていたことです。また、娘の励みになればと想い小樽の長崎屋のフリマボックス(アトリエT&K)ブースにも置いてます。「近くにお出での際は覗いて見てね」

 現在、自宅で仕事の他に週3日、岩内あけぼの学園に通所、やはりお友達もほしいようです。

 これからはのんびりと思いましたが、適度な刺激が必要と考え、こばと会のダンスと医療大学のオープンカレッジへ積極的に参加しています。オープンカレッジの参加は講義については理解出来ないものもありますが、サポーターとのコミュニケーションがとても刺激になり、娘の誇らしげな笑顔を見たくて毎回参加しています。(前回日時を間違え参加できず娘に怒られました)

 焦らず、無理せず、楽しい日々を過ごせたらなと思っています。

 地方(岩内町)の場合、小鳩会から沢山の情報が励みになり、これまで頑張ってこられたと思います。そしてこれからもよろしくお願い致します。

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早来町 Fサチ子さん (優子 S49.10.13)

30年間を振り返って

 娘、優子は10月で30才になります。「会報」の文章をいつも読んでいて優子の小さかった時のことを思い出していました。

 30年間、簡単に振り返ってみたいと思います。

 早来保育園2年(その間 苫小牧東小学校言葉の教室に通う)〜平取養護学校へ。最初、寄宿舎生活をさせることにすごく葛藤がありました。言葉の出ない、そういう子供を親から離して良いものか・・・。学校から家に戻るときの車の中ははしゃいでいるが、家から学校に戻るときの車の中は声が少なく、低学年の時は置いて帰っていくときのタイミングがうまくいかずに、夕食中に帰るのが一番良いかなと思って・・・。食堂で向かい合ってすわってタイミングを考えていると、箸の持っていない手はテーブルの下で私の手をしっかりと握っているんです。この手が離れたらお母さんが帰ってしまうということが、優子なりにわかっていたのです。

 本当に数年間は今、思い出しても涙が出ます。

 しかしながら、子どもは親が考えている以上に環境に慣れていくものです。ひらがなが読めるようになり、私は週に2〜3回ハガキに大きな字でせっせと家の様子を知らせました。卒業するまで数百枚になりました。

 その後、伊達高等養護学校へ入学。ここでの寄宿舎の指導は厳しく、現在の優子の几帳面さはここから生まれたのだと思っています。

 送り迎えすることもなくなり、仲間と苫小牧駅に降りる姿を見て、本当に少しずつであるが成長していくものだと、つくづく知りました。

 年頃の娘らしく、若い先生に夢中になったのもこのころですね。卒業式では、他のクラスの好きだった男の子の第2ボタンをもらって(昔はこういうことが流行っていました)帰ってきたのには驚きました。

 卒業後は親として、しばらくは側に置いて優子と一緒に生活したいという願いもあり、町内の施設へ通所して現在に至っています。

 数年前、携帯電話がほしいと言い出され最初は驚きました。しかし、使えるものです。そうすると今度はメ−ルをやってみたいと言い出し・・・エ−ッ!親もメ−ルが出来ないのに誰が教えるのだろうか?・・・。兄やいとこ、ボランティアの人達に根気よく教えてもらい、失敗も重ねながらクリアし、今では優子が言うには「私にはメル友10人以上います」とのこと。

 生後8ヶ月で障がいがありますと知らされた時の落ち込んだ自分が、今では信じる事が出来ないくらい遅いながらも確実に成長してきました。

 北大病院で知らされたのですが、帰り際、先生が私に一言・・・「これから先、大変でしょうが普通の子と同じように育てていきなさいね。」という言葉をずっと忘れることなく育ててきて、この言葉の重みをひしひしと感じました。

 いろいろなことを乗り越えて30年の月日が過ぎました。

 今日も優子の部屋から“おでんわです”という氷川きよしさんの着信音が聞こえてきます。

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苫小牧市 M良子さん (真智子 S56.11.17)

近況報告

 我が家の三女、真智子も22歳になりました。

 小学校、中学校は市内の特学に通いました。

 小学校の時、家に帰ってから行くところがあればと思い、公文とピアノを習わせました。公文は6年間他の子供達とかかわりを持ちながら通ったことに意義があったというところでしょうか。ピアノは中学3年まで習い、発表会にも出ましたが、本人よりも見ている私の方が緊張したものです。中学校では学校祭での劇、弁論大会などたくさんの貴重な体験をさせてもらい、親子共々楽しい学校生活でした。

 伊達高等養護学校を卒業後、今は自宅から育成会の作業所に通っています。作業所ではクリ−ニング工場からくる枕カバ−などのさばき作業をしています。その他に、老人施設の清掃作業をするグル−プもあります。作業所には娘より、かなり年上の方も多くみんなにかわいがられ楽しくやっているようです。

 ただ、心配なことは先天性の心疾患があり、病院や薬と縁が切れないことです。

 好きなことはビデオを見ること、カラオケ、ボ−リング等です。3年ほど前からは年に3回ほど、おとうさんの船で魚釣りにも行っています。これがけっこう釣れて、「ヒット、ヒット!!!」と言いながらリ−ルを巻いています。

 娘のおかげで、いつも笑いがいっぱいで楽しくやっています。

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S美津枝さん (祐哉 H6.7.10 )

 今年5月から書道教室に通っています祐哉がストレスになるのならやめる覚悟で毎週私は横に座って様子を見ています。

 私の心配をよそにして一度も休まず喜んで通い、市内秋の書道展に初めて出展され「審査員特別賞」を頂きました。

 塾の先生をはじめ担任や西小の先生方も大変喜んで下さり、交流学級の通信にも大きく取り上げて下さいました。

 我家にとっても快挙で3回も見に行ってしまいました。(親バカ)

 これからも祐哉の可能性を信じゆっくり見守っていきたいと思います。

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帯広市 K弘子さん (康汰 H5.4.4)

 夏休みの作品が、十勝毎日新聞に載りました。昨年の9月康太の姉が結婚して子供が生まれ10才でおじさんになってしまいました。

 その姪の愛叶(まなか)の顔をTシャツに描いて、飾りボタンを付けた物です。

 最初はとまどいもありましたが、今は1才になり、康汰の遊び相手(?)に少しなり、2〜3年後には、ぬかされる不安を心配しながらきょうだいのように良い刺激になっています。

 今は、昨年からはじめた週1回のスイミングスク−ルに通うのが楽しみで、10月に行なわれた十勝で第1回障がい者水泳大会に、T桃子ちゃんと参加して、金メダルをもらい大喜びでした。

 親も子もこんなに力のはいった、そしてこんなにも感激したことって初めてですね!」と桃子ちゃんのお母さんがコメントを寄せて下さいました。
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10月17日開催された第1回十勝地区障がい者水泳大会の新聞記事です。





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