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北見市 S.S(誠克 7.9.18)

近況報告

 昨年4月高栄保育園に入園しました。早いもので1年が経とうとしています。

 我家にとって、誠克にとって大変忙しい年でした。4月1日に入園式、私に手を引かれ、何が何だかわからないまま式が終わり、家に帰ってきました。4日間くらい慣らし保育で(午前中だけ)5日目から普通保育になりました。数日間は泣いて後追いしていましたが、先生に抱っこされると涙が止まっていました。

 誠克のクラス(年少)は9人と少なく、年中さん(9人)と一つの教室で、先生二人が保育していました。今年は年少さんの数が増え、担任の先生一人では大変なので、誠克に先生が一人つきました(手のかかる時間帯ということで10時〜13時まで)。私は先生がつくと聞き、甘えて自分では何もしなくなるのではと心配でした。

 でも、そうではなく、一人でできることが多くなったのです。今までまわりのペースに合わせなければいけなかったことも、自分のペースでゆっくり最後までできるように見てもらっています。

 保育園に通うようになり体も丈夫になりました。熱を出して休んだのも1、2回しかありません。裸足保育が良いのでしょう。毎日が成長です。

 お遊戯会では、予想以上にしっかり踊ってくれて、となりのお友達よりも元気よく踊っているようにも見えました。

我家にはもう一つニュースがあります。昨年3月三男出産、誠克もお兄さんになりました。長男純慶(5才)、次男誠克(4才)、三男翔哉(9ヵ月)のだんご三兄弟です。

 最近では翔哉もだいぶ大きくなり動き回るようになってきました。ストーブが好きで歩行器に乗せると突進していきます。私が手を放せない時など「すみー、翔哉見てー」と言うと、誠克が「アップップー」と言って、ストーブから離してくれます。翔哉がぐずって泣いている時にも教えにきてくれます。自分がテレビに夢中になっている時に翔哉が泣くと、「うるさーい」と怒っています。翔哉のおもちゃを取り上げて泣かしている時もあります。

 “お兄ちゃんになったなー”と思う時と“あらら”と思う時が多々あります。

 翔哉が産まれるまでは、誠克がいつまでも赤ちゃんに思えて、何でも手をかけすぎていたように思います。翔哉に手がかかり、誠克を放っておくと自分で服を着たり靴を履いたりしています。“いつのまに一人でできるようになったの?”ということがたまにあります。

 保育園という団体生活の中で、誠克もいつのまにか成長しているんだなーと痛感させられることが多く、新鮮な毎日を過ごしています。

 これから先、小学校入学と様々な問題(悩み)が訪れますが、私達家族5人で力を合わせて乗り越えていこうと思います。

 誠克の今できることを最大限に生かし、少しずつ、そしてゆっくりペースを合わせながら、共に歩んでいこうと思います。

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かわいいでしょ♪

 苫小牧市の中村 舞ちゃん(9.6.27)です。 お母さんが写真を送って下さいました。

〜お母さんのコメント〜  去年の夏(2才2ヶ月)の写真です。歩くのが楽しく、裸足で歩いていました。
 現在の舞は少しずつ言葉が出始めこちらの 言うことはわりと理解してくれます。

舞ちゃん

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釧路市 K.W(敏行 59.7.2)

卒業を迎えて

 敏行、卒業おめでとう。

 中学の三年間は、アッという間に過ぎてしまいましたね。中1・中2と寄宿舎生活で、色々なことを学んだと思います。初めて舎に見学に行く日、学校の玄関でぐずって佐藤先生の背中におぶさり、途中まで行くと一人で歩き、舎の玄関で元気よく「ただいま」といったのは驚きました。まるで前からいたようでしたね。舎に入ってからは、毎日生き生きしていました。

 学芸会が近づいてくると、今年は何をやるんだろうと親のほうがいつも楽しみにしていました。役に真剣に取り組み、家でも練習していましたね。修学旅行もめいっぱい楽しんでいたようです。養体連では、自分から幅跳びに出たいと言って、先生と近くの公園で練習していましたね。

 養護学校に入学してからの9年間、一度も学校を休みたいと言いませんでした。休みの日でも、学校と言っていました。遊びも運動も勉強?も全部、楽しんでやっていましたね。 最後になりましたが、学校の先生、寄宿舎の先生、バスの運転手さん長い間あたたかく見守ってくださりありがとうございました。

(釧路養護学校卒業文集より転載)

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釧路市 H.I(純 5.7.7)


 無事入学式を終えました。幼稚園では健常児と一緒の生活でした。父親としては就学する校区内の幼稚園であり、おなじ小学校へ行く子も多いと聞いていましたので安心していました。親と子だけの関係から離れた、子ども社会から刺激を受け大きく成長しました。これは、小学校へつなげる大きな宝となったと思います。

 幼稚園3学期、妻からまだ年長さんの教室から出て、ほかの教室を訪問したりしていると聞き普通学級でじっとしていられるかなと不安がよぎりました。さらに、終了式間近の練習を嫌がっていたりと元気ではきはきした態度の反面好き嫌いが直接出てくる息子の性格(単に我が儘なのか?)を前に親の方が大きな緊張感を持っていました。

 普通学級を希望するための教育委員会との対応は私と妻の二人で1月の雪降る日に委員会へ出向きました。学校現場は様々な親の要求苦情を受ける立場が委員会だとは一定程度理解はしますが、「『いじめ』あって当然、『学力テストの成績だけに依存』、『自分の子に影響なければ、と考える多くの親』なのですから、知的障害児をはねのけるという意識を多くの保護者は持っていますよ。意識を変えるのは大変ですよ。」といった委員会がとらえる学校や保護者の姿に失望を感じつつも、「(何いってやがる。)純がすごす義務教育9年間で少しでも教育の場が変わることを祈ります。」と言い残して委員会を後にしました。

 しかしならが、純もやんちゃな子でありまして大きな顔もできないなと父として深い自省の念を持ったのも事実です。

 恒例の「新一年生の入学説明会」には妻が参加し、学校そして新一年生の保護者への「純」のこと、そしてなぜ普通学級へ入れさせるかを参加された方にお話しました。

 何せ新一年生が32名1クラスの大所帯、担任される先生の負担が大きいのは、同業者として頭の下がる思いです。今日は入学してはや3日目、朝は母親が教室まで一緒に行きます。教室へ入り勉強道具を自分で整理したとたん母親に「アッチ行け」(「かえっていいよ」)と言い出す始末だそうです。また、親切にしてくれたお友達に対して、自分でできると意地をはって、相手をひっかいてしまいました。

 進学、進級の期待と不安、新たな希望が満ちている4月、義務教育9年間のスタート、普通学級に強いこだわりがあるわけではありません。幼稚園から健常児との一緒の生活に支えられて育ってきました。また、特別なケアも必要であり、それを受けるための固定的ではない、柔らかなシステムも必要だと思います。

 障害児を持つ持たないに関わりなく、いろんな子どもたちがともに生きて行くことを少しでも考えていただければと思っています。

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