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函館市 成田利枝(滉希 9.4.28)

 滉希は、予定日より3週間位早い平成9年4月28日、2646gで生まれました。

 家には4才上のお姉ちゃんがいます。

 滉希は、お姉ちゃんの時と違いいつも寝てばかりいて全然泣きませんでした。この時から胸騒ぎがして看護婦さんにこの子変じゃないですかと尋ねても、いろいろな赤ちゃんがいるので心配しないでと言われ、不安をだいたまま退院しました。

 その1ヵ月後の産後検診で先生からダウン症の疑いがあるので総合病院で調べて下さいと紹介状をもらいました。

 総合病院で検査してから1ヵ月後やはりダウン症でした。私達は今までダウン症についてはよく知らなかったのでその時先生にいろいろ説明してもらい、一生なおらない障害とわかりショックをかくせませんでした。

 又、滉希はミルクを飲むと噴水のように吐いてばかりいて、体重もなかなかふえないので体力がなく、昨年の夏まではちょっとした風邪でもすぐ脱水、肺炎で入退院を繰り返していました。

 最近は体重も少しふえ体力もついてきたのか風邪をひく事も少なくなり活発になり目が離せなくなりました。

 小鳩会に入会していろいろな方と友達になり話を聞いたり遊んだりと情報を交換しあって本当に感謝しています。これからも宜しくお願いします。

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北見市 白鳥 那子ちゃん(5.1.18)

 

白鳥 那子ちゃん

二人のお姉ちゃんと、弟さんと一緒に撮りました。

那子ちゃんは、今年小学校入学です。お姉ちゃんたちと3人で通学します。

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小樽市 伊藤 史樹くん(8.9.9)

伊藤 史樹くん

お母さんのコメント

 2才4ヶ月、ドラえもんに夢中で知らず知らずのうちにドラえもんグッズが部屋中に増えてしまいました。

 X' masにおばあちゃんが買ってくれたこの大きなドラえもんは動くので、上にのっかって遊んでいます。パパが大好きなのに、パパの帰宅はいつもFumiが寝る時間。ママが無理矢理2階に連れていくので、悪者にされて損な役…。寝る前は本を読んで歌を唄うまで寝てくれません。

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旭川市 田下 夕貴ちゃん(1.6.27)

田下 夕貴ちゃん

お母さんのコメント

 写真は「お父さんの顔を描く」と言って“せんせい”にかき、「名前も書く」と言って“こうじ”とかいてくれた記念にとりました。

 3年生の冬休みをむかえようとしている夕貴。

 学校では楽しいことばかりではないようですけれど元気に通学しています。

 「ポケモン」や「ドラえもん」などアニメを見るのが好き。いろんなうた(もちろんアニメの主題歌)に合わせて踊るのも好き。

 家族の前では「見て、みて!」とアピールして、踊ってみせてくれます。

 雪が降ってきて、本人はそりすべりなど楽しみにしています。(母は寒くて付き合うのが正直ツラいです)。

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釧路町 阿部 環(めるも 3.1.20)


 皆さん今日は。娘『めるも』の近況報告をさせてもらいます。

 現在、釧路町内の特学2年生として元気に通っています。

 就学前は、発達の一つ一つが声には出せないものの、とても気掛かりな時期もありました。しかし、そんな気持ちも、周りの人達の理解や自然に受け入れてくれる子ども達の姿にふれ、毎日感謝の日々です。

 ことばが上手に伝わらなくても、字なんて書けなくたっていいじゃないか、と吹っ切れてからはあまり?(全然)神経質になることもなく、家族全員がありのままの『めるも』と接してきたように思います。

 そんな中、楽しい学校生活で『めるも』なりに言葉の素晴らしさを少しずつ理解してきたのでしょう。お友達や先生、周りの人々に積極的に話しかけるようになり、それが相手に伝わり会話が成立してきた時の喜びも知ったのでしょうね。発音もしっかりしてきて、言葉の数も広がって来たように思います。

 期待はしていなかった字も左ききでしっかり[あべ めるも]と書けるようになり、親以上に担任の先生が感激してくれたのが印象的でした。担任の先生も焦らず地道に教えて下さっていて、家庭においても学校においても、のんびりとした環境の中で『めるも』自身が会得しその自身が開花したように思われます。

 このように、余りにも自然体に近いやり方が、良かったのか、悪かったのかはわかりませんが、確実に成長をとげている娘は、今、とても生き生きしています。

 大人になってもこの姿で暮らせるような地域や社会にしていこうと日々活動中です。

 皆さん、元気で頑張りましょうね。

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札幌市 吉田 享子(叶美 3.9.22)


障害児の放課後を充実させる運動に取り組んで

 我が家の第三子で長女の叶美は昨年4月、小学校に入学しました。最近では会話も大分上手になり、絵や字をかくことにも意欲的。毎日元気に学校(特殊学級)に通っています。

 昨年会報 119号で発足のご案内をした通り、私は今「障害児を札幌市の児童クラブに入れる会」の活動に取り組んでいます。その時には、なぜ私がこのような活動をすることになったのかという詳しい内容を書くことができませんでしたので、それ以降、今日までの経過を含めて、この紙面を借りてお知らせしたいと思います。

 障害のある子を持つ親なら、皆さんそうだと思いますが、実は私も小学校に入学する以前から、この子に障害があっても友達と遊んだり、社会と関わる生活を送らせたいという願いを強く持っていました。そして、入学と同時に学校の隣にあり障害児を受け入れている民間の学童保育所へ入所させました。しかしその次に気付いたことは、校区の小学校には特学がないため、隣の校区まで送り迎えをしているので、地域にはいつまでたってもなじめないという現実なのでした。障害を持っているからこそ、小さいうちから地域から理解を得、人や場所と関わって生きていくことが必要なのではないかという思いはどんどん大きくなっていきました。そこで私は考えました。 札幌の学童保育は3方式(市の児童会館内にある児童クラブ、学校の空き教室を利用した学校方式、民間学童保育)あるのだから、地域に百館近くもある児童クラブに障害児が入ることが出来れば一番良いのではないか。一ヶ所に一人入ったとして百名、二名ずつなら二百名の障害児が充実した放課後を送ることが出来る。しかも、児童クラブは小学校3年までが対象だけど、児童会館の遊びに行くのは、中学、高校生までOKなのだ。しかし、児童クラブは留守家庭児童対象になっていて、働いている親の子供だけが対象になっている。障害児がいて、なかなか働きにいけないというお母さんが実際には多いのに、障害児についても留守家庭だけのものでいいのだろうか?親が働いている、いないにかかわらず、障害児は自ら他の人に働きかける力が弱いのだし、学童保育についても、行政のサポートが必要なのではないだろうか?障害児についても留守家庭児童だけを対象にしている、その壁を越える方法はないのだろうか?それは調べてみなければわかりません。あるのか、ないのか、あきらめるのはまだ早いと思い、まず地域の児童会館へ行って、館長さんにお話しを聞くことにしました。それから市の福祉部の課長さんや、障害児の親でもある市会議員の方に会って話しを聞いているうちに色々なことがわかってきたのです。平成10年度より児童会館の管轄が教育委員会から保健福祉部へ変わったこと、市では、2〜3年前から、働いていない親の障害児を受け入れようという動きが、実際にあるということ、特学を退職した先生を、障害児のサポートとして昨年から児童会館に巡回させ始めたこと。これは、かなり流れとしては追い風ではないか?もしこの時期に(1)障害児については、親が働いているいないにかかわらず、児童クラブに入会できるようにすること(2)障害児については4年生以上も登録できるようにすること、この2点を市への陳情と署名という形で出した場合、何十年もかかるわけではないかも知れないという手応えは、現状を調べれば調べる程強くなってきました。早くこの事実をもっとたくさんの障害児とその親達に知らせてあげたい、しかし果たして自分にそんなことが出来るのか?我が子は民間の学童保育で少なくとも小学生のうちは過ごせるのだから、あえてそんな大変なことをしなくてもいいじゃないかと、頭の中で色々なことを考えました。しかし、やはりこの子が生まれた当初から私の中で持ち続けていた、地域社会の中で普通に生活したいとうう強い思いが私を動かしたのだと思います。そして叶美の学校の担任の先生からも「小さいうちから健常児と共に、それも地域で共に生きることは、どんな障害の子にとっても必要なんです。直接叶美ちゃんの為にはならなくても、必ず叶美ちゃんにその恩恵は何らかの形で返ってくるはずですよ」と励ましの言葉をいただき、私の心は決まりました。そして、何年かかるかわからないのでとにかく第一回目は今年中にやりたい、そのことを色々なところで話しているうちに同感してくれる人が少しずつ増え、13人の親達がメンバーになって「障害児を札幌市の児童クラブに入れる会」を作ることが出来ました。

 その後は陳情書作りや署名活動等で月日はあっという間に過ぎ11月19日の第一回審査の日を迎えました。とにかく無我夢中でここまで来ましたが、ここまで来れたという自信が私の中で大きな力になっていたのは事実のようでした。継続審査という結果でしたが、各政党の議員からもまんべんなく前向きな発言と、会に賛同する立場で札幌市側への質問が出され、社会福祉審議会に諮問されるという、第一回目としては画期的な内容でした。翌日の道新朝刊でも「学童保育、抜本的見直しへ」という記事でとり上げられ、障害児の受け入れを含めて学童保育全体が見直しされようとしています。すでに昨年末より、社会福祉審議会の分科会が開催され、障害児の受け入れもその中で検討され始めています。もっともっとたくさんの親の声を出していくことにより、大きな力にしていきたいと思います。これからも、この運動に限らず、目の前の課題に一つ一つ取り組んで、この子と共に地域社会で生きて行きたいと願っています。

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