音更町 Uさん (梓 6.7.8) 1年生になりました 2年間通った「帯広あおぞら」を3月に卒園し、4月9日帯広養護学校小学部に入学しました。 入学式の翌日からスクールバスで登下校です。「行きたくない」と泣いたらどうしようとバスに乗るまで心配で、私の方が緊張していたと思います。でも、梓本人は何のためらいもなく、バスに乗り込み学校へ…。バスを見送る私が目をウルウルさせていた第1日目でした。 次の日からは毎朝「バス乗らない、学校行かない」とは言うものの「学校行く時間だよ、テレビ消して」と言うと、テレビを消して玄関へ行きます。バスに乗る時も介護員さんに元気に「おはよう」と言って乗って行きます。学校ではマイペースに楽しく過ごしている様です。 毎日の様子も連絡ノートに詳しく書いてくれて、学級通信には子供達の色々な事に取り組んでいる姿をカラー写真で載せてくれるので毎回とても楽しみにしています。 5月11日には初めての長距離遠足がありました。往復5kmの道程を歩き抜いたがんばり屋の梓です。(次の日は足が疲れて痛かった様で、一日歩けずハイハイしていましたが…) 先日は「帯広あおぞら」の先生方が、学校へ参観に行って下さり、その時の梓の様子を知らせてくれました。卒園した後も、梓の成長を見守ってくれている事にとても感謝しています。 まだ始まったばかりの小学校生活です。色々な事にチャレンジして先生、お友達と毎日楽しく過ごしてほしいと思っています。 |
帯広市 Sさん (結衣 10.10.17) 平成10年10月17日、我が家に初めての子、結衣が誕生しました。大きな病気、入院もすることなく成長し6月17日で2歳8ヶ月になります。 歩くのもだいぶ上手になり、言葉も「パパー」だけはしっかりと言えてます。4月からは通園施設の「帯広あおぞら(パンダ組)」に毎日元気に通っています。初めの頃は、私がいないと探しては泣いていましたが、最近は少し慣れた様で泣くこともなくなってきました(親も子も)。 「あおぞら」に行くようになって外遊びが好きになりスベリ台に乗ったり、砂や石ころを拾っては投げ、拾っては投げと楽しんでいるようです。自分からどんどん動いて、先生の手を引っ張っていったり、こっちにおいでと手招きして呼んだりと「あおぞら」の生活にも慣れてきたようです。お昼には給食がでます。ご飯、味噌汁、納豆、麺類が好きで他のおかずはほとんど食べないので心配していたけど何とか半分くらいは食べているようです。迎えに行くとニコニコして抱き着いてきます。車に乗るとすぐグッスリです。 「あおぞら」に行きだして家にいる時は私の傍にぴったりとくっついてパパが一緒に遊ぼうと言っても離れなかったのが、最近直ってきてパパとも遊ぶようになりました。「あおぞら」に通って2ヶ月が過ぎ、今では結衣も私もだいぶ慣れ、朝は行くよと声をかけると自分でかばんを持って、帽子をかぶり出かけます。誰にでも手を振ってバイバイする愛想のいい結衣。 これから私達親子にとって初めての遠足や運動会、発表会があります。周りの人達の温かさに包まれて結衣のこれからの成長がとても楽しみです。 |
両親を死ぬほど心配させた優希ですが、北大の先生方や看護婦さん方の御陰で約一ケ月で無事退院する事が出来ました。本当に心から感謝しています。気管支が弱い為、今でもに週間に一度の病院通いは続いてはいますがとっても元気!ハイハイ、つたい歩きと全ての技を出しきって部屋の至る所でいたずらのやり放題。6才になるお姉ちゃんの舞衣相手に対等に張り合おうとしたり、三匹の猫を追いかけ回したりと、毎日笑ったり、泣いたり、大きな声を出したりととってもにぎやかです。 私達夫婦にとって優希がダウン症なんて事は二の次、三の次、障害があったって無くたって掛け替えの無い我が子。「舞衣、優希、お父さんもお母さんも、あなた達が大大大好き!」 まだ、始まったばかりの子育て、一つめのハードルをクリアーしただけの私達ですが、優希の底しれぬパワーと生命力を信じて毎日楽しく過ごして行きたいと思っています。 |
宗一郎君 (宗一郎君のお母さんのコメントです) 高校生になりました。進学をきめる時は迷いましたが友人のアドバイスもあり、家から近い所を希望しました。入寮日よりうるうるすることもなく学校では賑やかに、寮では時々いたずらなんかして叱られているようです。 毎週末に帰省し、ゆっくり過ごしてまた1週間頑張っているようです。3年後が悩みです。 |
旭川市 Sさん (祐哉 6.7.10) 「道新の“いずみ”を読んで、感動したので…」と札幌のある小さなFMラジオ局の方から番組の中で紹介したいと、依頼され喜んでインタビューを受けました。 10分間に渡って祐哉を中心とした我が家の事、「たんぽぽ学級」が新設された近文第二小学校の事。そしてパーソナリティーの鈴木一平さんが障害児に対する思い等を放送されました。 残念ながら旭川までは電波が届かず生で聴くことができませんでしたが、札幌の知人がテープに録音して送ってくれました。 ダウン症児が、そしてその家族が前向きに頑張っていることを今ではすっかりささやかな趣味となった手記を通して世間の皆さんに知ってもらえれば…、そして自然に受け入れてもらえると嬉しいです。 |