「こばと」213号


世界ダウン症の日(2018年)特集は こちら のページをご覧下さい。


表紙の写真//会報「こばと」表紙写真のエピソードをご紹介

左から
S 直哉さん(S60.5.26)
I 亜希さん(S59.10.13)
W 宗一郎さん(S60.5.10)


W 宗一郎さんのお母様からのメッセージです。
亜希さん、直哉さん、そして、我が家の息子 宗一郎の仲良し3人組の家族で、昨年5月、石垣島に行ってきました。東京・横浜、大阪に続く3回目の旅です。
西表島、由布島、竹富島と周りました。 これは竹富島での写真です。
水牛車で島内散策してタクシーで星砂浜まで行き次の砂浜まではのんびりと歩きながら。天気も良く 海も空もきれいで 人も少なく静かでしばらく居てみたいなと思う島でした。
次回の旅は、今人気のはとバスツアーでもしようかと話しています。

特集記事//会報「こばと」今号の特集記事

北海道小鳩会40周年記念旅行の時に、講演していただきました天使病院の外木先生の今月号から『ダウン症の生涯を通しての健康管理について』連載していただけることになりました。


今月号は、“前書きに代えて”ということで、本題前の興味深い内容です。
来月号からもお楽しみにお待ちください。

ダウン症の生涯を通しての健康管理について

天使病院小児科医師 外木秀文

I ダウン症の「ことはじめ」:
ダウン症を見つけた先生はみんな偉い


前書きに代えて


 ダウン症候群について,世界で初めて医学専門誌(主に医師を対象とした専門雑誌)に記事が掲載されたのは1866年のことです.『ロンドンホスピタルレポート』という雑誌にジョン・ラングドン・ダウン博士が執筆したものです.日本では江戸時代の最末年で慶応年間にあたり,大政奉還の1年前のことです.ロンドンは栄光のビクトリア時代,産業革命をいち早く成し遂げ,世界の7つの海を制覇しアフリカ・インド・カナダ・オーストラリアそして中国にも進出し,植民地帝国を築き上げた時代のことです.すでにこのころロンドンでは地下鉄が開通し,人々が馬車で行きかう時代から鉄道で移動する時代に移り変わっていました.シルクハットの紳士やシャーロック・ホームズの活躍した時代のイメージが重なります.


 ダウン博士の論文のタイトルは「知的障碍者の人種的な分類」というものでした.その中でのちにダウン症とされる子供たちについて,吊り上がった目尻,厚いまぶた,低い鼻,まるい頬,未発達な下顎,小柄な体格,直毛で薄い毛髪の特徴があることを取り上げ,そこからモンゴル人などアジア系民族由来の遺伝的な障害として「Mongolism(蒙古人症)」と分類しています.蒙古症として知られるようになったダウン症候群ですが,他の多くの病気の原因が解き明かされていく中で,その原因が解明されるまでにはおよそ90年待たなければなりませんでした.


 1959年フランス人の小児科医ジェローム・レジューヌが2つの学術論文を発表し、ダウン症が染色体の過剰(トリソミー)が関係していることが報告されました.これは今でいうゲノムすなわち遺伝情報の構成的異常が病気の原因になることを初めて示唆した歴史的な発見だったのです.20世紀の前半に光学顕微鏡でヒトの細胞の染色体を観察できるようになったものの,実は染色体数が46本であると確定されたのは1956年のことです.この年初めてチヨー博士とレヴァン博士によってヒトの染色体の解析方法の基礎が確立され,それからは一気に先天性疾患と染色体数の異常についての研究がすすめられました.全世界の目が染色体研究に注がれたのです.

 レジューヌ博士は小児科医であり,遺伝学者でもあります.彼の実験記録によると蒙古症の患者のサンプルで21番染色体が1本多いことを観察したのは1958年5月22日となっています.実際には論文発表より1年先んじているのですね.いづれにしても.ロンドンの眼科医が1866年に初めて医学雑誌に報告して以来92年を経ていました.


 医学的な論文は別として,蒙古症と称されるようになったダウン症の幼児の姿は5世紀のメキシコのテラコッタや15世紀のヨーロッパの聖母像のキリストに似せて宗教画にもしばしば登場します.ダウン症の子供の持つ穢れない無垢さが幼きキリストと重なるのであろうか?と思ったりします.


 ダウン症は出生1,000人に対し1人の割合で生まれてくるとされています.それは歴史をさかのぼった中世でも古代の時代でもあまり変わらなかったのでしょうし,人種や民族での極端な違いもなかったのでしょう.あくまでも想像ですが,社会の中で,少し変わった貴重なこどもとして愛される存在だったのではないでしょうか.そうでなければ,ルネッサンス期のイタリア人画家アンドレア・マンテーニャやオランダ人画家ヤン・ヨースト・オブ・カルカーの後継者の手による宗教画に描かれることもなかったでしょう.


 しかしながら,科学の時代が到来しダウン症は多くの困難や誹謗に直面することになります.チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を世に問うたのが1859年です.ダウン博士の論文にも垣間見られる民族の優劣がヒトの進化の過程で起こる産物であり,その仮説の延長上にダウン症を位置づけるような進化論的な考え方が説得力を持ったことは想像に難くありませんね.従って,その後100年にわたり,ダウン症は蒙古症と呼ばれることになります.当時の人種偏見がなんの疑問も持たれなかった欧州の社会常識であったにせよ,そのような呼称を受け入れるは不愉快な思いになります.ヒトの考えは世代が変わらなければ心底変わることはありえないというのが私の思いです.私が学生時代に買った1977年版の世界的権威のあるハリソン内科学教科書にも,「トリソミー21(ダウン症または蒙古症)」と併記されています.1959年染色体の過剰が原因であると解明された後は,人種に無関係な疾患であることが証明されたのにもかかわらず,モンゴリズムと呼ぶことが終わったわけではなかったのですね.


 さらにはオランウータンやチンパンジーの染色体数が48本であること知られた後は,染色体数が47本であるダウン症はヒトとオランウータンの中間の生き物であるなどいう心無いことを言う人もいたといいます.染色体が遺伝子の貯蔵庫であり運び屋であることの理解が進む中,進化のメカニズムを説明する仮説としてまことしやかに考えられたこともあったようです.根源には人種や差別,優生思想が根強くあったのだと思わざるを得ません.

 そのきっかけとなった論文を発表したダウン博士にはあまりいい気持ちを持てないでおりましたところ,ダウン博士のその後の「遺産」を知り考えが変わりました.遺産の一つはノーマンズフィールド病院です.ロンドンの西郊テディントンにダウン博士が設立した病院は「知的障害をもつ患者のための施設」です.確かダウン先生は眼科医だったはずですが,この病院を設立したのは1868年,彼が40歳の時になります.さすがは資産家の英国紳士ですね.そして,彼の死後1896年以降は彼の2人の息子が病院経営の事業を受け継ぎます,障害を持つ人のために大きな貢献をしたのでしょうね.これは,ものすごく画期的なことだと思います.まだまだ,資本主義一辺倒で子供の炭鉱や工場での労働が問題となり,福祉などといった考えがあまりない時代です.ちなみに同じロンドンで翌年の1867年にカールマルクスが資本論を出版しています.そんな時代にダウン先生は知的障碍者あるいは学習障害の子供たちのために大きな貢献をしたのです.


 さてダウン先生にはもう一つ「遺産」があります.1905年に一人の男の子がダウン家に生まれます.祖父の名をとってジョン・ラングドン・ダウンと名付けられた孫はかの祖父がモンゴリズムとして記載した病状をすべて備えた男児でした.このとき祖父のダウン博士はすでに他界していましたから,この孫とは生きて会うことはかないませんでしたが,若いほうのジョン・ダウン氏は家族の中でとても愛され,生家で65歳の天寿を全うしています.スーツを着て家族と写真撮影された姿を目にすることができます.

 彼が亡くなる数年前のことですが,世界的に権威のある医学雑誌である『ランセット』に著名な遺伝学者から,モンゴリズムという差別的な呼称をやめようとの記事が掲載されました.これに呼応してランセットの編集者はDown syndrome:ダウン症と呼ぶことにしようと提案しました.これは世界中の医師や患者の支持を得ることになります.1961年に始まったこの運動は1965年に結実します.世界保健機関(WHO)がこの決定を正式なものと宣言したのです.以来ダウン症が正式名称となりました.おじいさんの方のジョン・ダウン氏がこの病気をはじめて報告した時からちょうど100年といってもいいでしょう.この歴史的な業績だけではなく,彼のその後の障害を持った人に対する大きな貢献やダウン一家の素晴らしさが病名にその名を冠するに値するものと考えるとき,感慨深いものがあります.


 ダウン症にとってもう一人の重要な貢献をしたフランスのジェローム・レジューヌ博士は学者として,染色体異常症が病気の原因となること世界で最初に証明した偉大な業績があります.1959年のダウン症の発表に続いて,猫啼き症候群が5番染色体短腕の部分欠失であることを1963年に発見し,さらに1970年―1971年にかけてトリソミー8とトリソミー9を見出しています.彼の遺伝学的功績に対し1962年ケネディ大統領が個人的な表彰をおこなっており,1969年には遺伝学者として名誉あるWilliam Allan 賞を受賞しています.

 レジェーヌ博士は多くの染色体異常症の原因を明らかにしました.この発見をもとに染色体分析による出生前診断の技術が開発されました.最初の胎児の染色体分析は染色体異常が示されたころと時を同じくしてなされともいわれています.


 しかしながら,自身の発見が元になった技術で多くの胎児の生命が奪われていくのを目の当たりにして,ジェローム・ㇾジューヌに悩み憤ります.敬虔なカトリック教徒であった彼にとってこのことはひどくつらいことでした.とても受け入れることができなかったようです.彼はこのような出生前診断が胎児の人工流産につながることに対し反対の立場をとり,その後の多くの時間を割いてモラルの面から妊娠中絶のいろいろな規制緩和に対し抵抗を行っています.このような話を聞くと,原子爆弾の理論を築き上げた科学者が核拡散に反対している状況と重なり合うものを感じるのは私だけではないでしょう.彼は1994年に世を去っていますが,1997年ローマ法王ヨハネバウロ2世はWorld youth dayでパリを訪れた際に彼の墓を尋ねています.彼はカトリック教会から“Servant of God(神の召使)”に列せられています.


 最後にダウン博士の遺産について付け加えておきましょう.1997年ノーマンズフィールド病院は閉鎖されました.その後,2010年,建物は英国のダウン症協会に寄付され,その事務局と国際ダウン症協会の事務局が置かれています.さらにジョン・ダウン博物館が施設内に開館,かつて病院に併設されたノーマンズフィールド劇場も公開されているそうです.


 ダウン博物館のホームページには,このダウン博士の遺産であるビクトリア朝様式の建物は“ダウン症の心のよりどころ”と紹介されています.まさにその通り.俗っぽい言い方で「ダウン症候群の聖地」などと呼ぶのは憚られるにしても,ジェローム・レジューヌの墓所とともに、すべてのダウン症の方々,いやすべての人にとって貴重な体験ができる場所だろうと思います.

分会からの報告//こばと会の分会の活動をご紹介致します。

帯広分会からの報告

すこやか農園収穫祭の報告


9月9日(土)農業高校敷地内にて、すこやか農園収穫祭が行われました。小鳩会からは14家族40人の参加がありました。


青空の中、農高生さんと一緒に立派に育った野菜を収穫し身体を動かした後はお待ちかねの試食会。
カレーライス、フランクフルト、枝豆、とうきび、ポップコーン、ピザ、ジュースとおいしいものが盛りだくさん!手作りピザは、農高生さんがドラム缶で作成した焼き釜で一生懸命焼いてくれました。
子ども達には嬉しいおもちゃくじもあり、お腹もいっぱい。野菜のお土産も頂き楽しい時間を過ごしました。来年も皆さんの参加をお待ちしています。


いつもご協力頂くライオンズクラブ、社協、農業高校の皆様方ありがとうございます。

(記 折戸)


茶話会の報告


11月14日(火)あがり框さんにて「茶話会」を行いました。
12名の参加があり、はじめに会長挨拶、自己紹介や近況報告、その後それぞれおしゃべりで盛り上がり交流を深めました。
おいしいランチも頂き、とても楽しい茶話会となりました。

(記 高橋)


茶話会に参加して


上川郡新得町 S ミキさん (寛大さん H15.8.25)


今回の茶話会の参加は本当に久しぶりでした。
まずはじめにお母さん方からお子さんの紹介、近況報告があり、その後就労の事ダウン症におこりやすい身体のトラブル、健康面での悩みなど色々な情報交換ができ、とても勉強になりました。
うちの子は中二になりましたから、高卒後からの将来のことは不安ばかりです。
でも、そういうときにお母さん方の声を聞けたりする場があるのは、心強いですね。
今後も機会があればぜひ参加させていただきたいと思います。
女子トークも楽しかったです。

成年後見制度の学習会の報告


10月22日(日)音更町総合福祉センター中集会室で「成年後見制度」についての学習会を行いました。
大人28名の参加がありました。託児を用意したので、安心して学習会に参加できたと思います。
音更町社会福祉協議会主任の堀田満生さんがVTRを通してわかりやすく説明して下さいました
その後、質疑応答。最後にクイズ形式で成年後見制度の復習をして終了しました。
とても勉強になり、貴重な時間を過 ごすことができました。

(記 田村)


成年後見制度の学習会に参加して


河東郡 N 清美さん (太陽さん H15.11.2)


10月22日(日)に成年後見制度の学習会に参加させて頂きました。
正直まだまだ先のことだと安易に考えていましたが、実際、学習会でお話しを聞くと内容はかなりのボリュームで深く、一回ではなかなか理解するのが難しく、手続等を考えると、いざという時のために今から理解し、すぐ動ける様にすべきだと感じました。
講師の方も、DVDで実例を挙げて、私たちになるべくわかり易く、ユーモアもまじえてお話ししてくれました。
とてもためになる学習会でした。今回参加させて頂き、本当に良かったです。会長、役員の皆様お疲れ様でした。
またこのような機会がありましたら参加させて頂きたいと思います。
ありがとうございました。

苫小牧分会からの報告

斉藤フミ子さんを囲んで勉強会レポ


11月14日(火)苫小牧福祉ふれあいセンターにて勉強会がありました。参加者14名、遠くは浦河から参加されました。
NPO法人苫小牧手をつなぐ育成会・会長 斉藤フミ子さんをお招きして子供の進路や老後に備えた具体的な準備などについて教えて頂きました。
斉藤さんは自分のお子さんだけでなく苫小牧の障がい児とその家族を支援するため日夜奮闘されてるパワフルな女性で、豊富な知識で色々な相談にも応じる心強い存在です。ユーモアたっぷりなお話に2時間があっという間に終わりました。


中学から寄宿舎に入れたほうが良いのか


斉藤さんは「養護学校中等科の先生達は頑張ってるし、中等科から寄宿舎に入れてる親御さんを決して否定するわけではありません」と前置きされた上で、出来れば思春期の三年間を親元で過ごして欲しい。親子関係の構築にとても大切な時期であり貴重な3年間だからと。その上で時々お母さん自身も楽しめる時間も作るのも大事とご自分の子育て体験を交えてアドバイスされました。


※苫小牧市近辺には、養護学校は室蘭養護学校、平取養護学校しかありません。
ですので、中学校から養護学校を選択する場合、通学が時間的に無理な時は、寄宿舎に中学校から入るという場合も出てきます。


年老いてからの家族関係


定年退職した夫が突然子供の進路やしつけに口出ししてくるケースがあるそうです。意見が食い違っても決して子供達の前で口論してはいけない。障がいを持った子供達はとても敏感なので自分の事で両親がケンカしてるとすぐに察するので注意すること、夫婦の仲良しのコツや親の入院などに備えてショートステイの経験をさせるコツ等もユーモアを交えて教えて下さいました。


親の死後の事、お金の管理を考よう


まずは二十歳になるまでに子供本人名義の通帳を作る。親の死後、手続きをしやすいように子供の実印を作る(印鑑登録をする)。
会員も高齢化してますので、家の名義のなど質問が沢山でました。斉藤さんが丁寧に答えて下さいました。この他グループホームや入所の事、苫小牧の施設の現状などの説明もありました。
斉藤フミ子さんを囲んで記念撮影。2時間では足りませんでした。
また開催されれば良いなと思います。斉藤さん、準備されたスタッフの方、ありがとうございました。

(記 中村)。

函館分会からの報告

ちびママ交流会に参加して


函館市 T 曜子さん (咲衣ちゃん H26.8.21)


11月3日。ちびママ交流会を開きました。三連休にもかかわらず、7組のちびちゃん家族と2組の先輩家族が参加くださいました。


今回は初めて会うダウンちゃん家族が多かったので、自己紹介をしながらフリートークを中心に交流を深めました。
6年生、4年生の先輩家族が参加して頂いたことで、こんなにおしゃべりが出来るようになるんだ!ゲームも出来るんだ!など楽しみになる姿を拝見することができ、とても良かったです。
兄弟、姉妹の参加も多く、みんな楽しく遊ぶことができました。お父さんたちの参加があったおかげで、お母さんたちもゆっくりお話をすることもできました。


また交流会を開き、みなさんとお会いし楽しいお話をたくさんしたいです。わが子はもちろん、お仲間のダウンちゃんの成長をみていくのもとても楽しみです。


今回、交流会に参加したわが家の3才の娘の様子ですが、療育センターでは、なかなか自分を出さない子ですが、パパやお兄ちゃんお姉ちゃんが一緒だったので、安心し普段のお茶目で元気な姿を出すことが出来ました。


※参加したお母様の感想です。
6才男の子のお母さんは、今まで小鳩会に参加すると、我が子が年令低い方だったので、ちょっとしたアイドル気分でしたが、今回の会では、うちより年令低い子がたくさんいて、アイドルの座を奪われた感じでした(笑)


4才男の子のお母さんは、息子はちょっぴり人見知り気味でしたが、夫婦で参加できた事でダウン症についてや、これからの子育てについての考えを共有でき意味深い1日となりました。


4才女の子のお母さんは、はじめましてのダウンちゃん達にも会え、とても楽しかったです。兄弟の皆さんも、面倒見が良く、感心しました。わが家の娘も、姉と妹も楽しすぎて大興奮。これからも、助け合っていけたら良いなぁ!


3才女の子のお母さんは、子供達はすぐに仲良く遊びだし、男の人が苦手な娘もお父さん達には人見知りもせず、自然体で遊べたのが嬉しかったです。


1才女の子のお母さんは、芽衣は初めての事で、中々他の子と遊ぶことが出来ませんでしたが、私自身は楽しい時間でした。まだまだ人見知りしてるので、徐々に慣れていけたら良いなぁと思います。


1才女の子のお母さんは、私達は同じダウン症の子を持つ方達と会うのが初めてでした。いつか同じ境遇の方と話をしたいなと思っていた所だったので、声をかけて頂き本当に嬉しかったです。

ボウリング大会


11月26日(日)ボウリング大会が行われ20世帯、総勢49人の家族が集まりました。
前日の函館はドカ雪で、当日の朝も天候が心配されましたが気温も少し上がり、たくさんの方にお会いすることが出来ました。


小さいお子さんは、お父さんやお母さんと一緒に、大人の方はさすがのスコアで幅広くみんなが楽しめる行事だなぁと改めて感じました。


うちの息子は9歳ですが、最初は不安がりながらも、ゲームが始まると重い球を一人で持ち、全身を使って笑顔で球を放り投げていました(笑)


ゲームを楽しんだあとは場所を広いお部屋に移し、みんなでお弁当を食べながら談笑をしました。
運動不足になりがちな寒い冬には、ぴったりのボウリングを小鳩会のみなさんと楽しむことが出来て、本当に楽しい一日になりました。

(記 合田)

札幌分会からの報告

菅野敦先生セミナー
『ダウン症のある方のライフステージに応じた支援を考える』


 9月26日(火)菅野敦先生のセミナーが札幌市教育文化会館にて行われました。保護者87人と保護者以外の教員や施設職員などの方58人の参加がありました。


 会場は満席で、大変真剣に聞き入っていました。ダウン症の支援に関わる人々が、ダウン症のある方の支援を学んでよくしていこうという意欲をひしひしと感じました。


 午前は、『将来を見据えて今、大切にしたいこと』就学前から学齢期の支援についてのお話で、午後は『青年期から壮年期の気持ちと行動』についてのお話でした。 


 アンケートに書かれた内容には、施設職員の方々がとても熱心にダウン症のことを学びそれを日々の業務に生かそうとして下さっていることが多く書かれていました。また同様のセミナーの開催を希望される意見もありました。


 遠路お越し頂き、午前午後連続して5時間以上に渡りお話し頂いた先生には心より感謝いたします。

(記 細川)


セミナーに参加して


札幌市 M 明子さん (宏樹さん S63.4.12)


 今回は4年ぶりのセミナーの開催ということで、とても楽しみにしていました。


 午前中は、幼児期からの将来の豊かな発達に向けて大切な事をお話しいただきました。
 大人や友だちとの豊かな楽しい遊びを積み上げること、生活のリズムの獲得、整った環境(部屋)つくり等、特別な事ではなく、日々の当たり前の生活の大切さをあらためて感じました。


 その積み上げが、将来困った行動を起こさないことにも繋がっていくのだと再確認しました。


 午後からは青年期、成人期の話。
 青年期・成人期のダウン症のある方の気持ち、生じてくる変化、問題とされる行動やその原因、青年期以降の発達課題、ダウン症のある方をとりまく環境とストレス、性格・行動傾向等について丁寧にお話しいただきました。
 『豊かな生活のために、青年・成人者と上手につき合うための5つの原則』、『豊かな生活のための6つのチャック』
もう1度先生の本をゆっくり読んでみようと思いました。


 生涯をみすえた支援とは生き甲斐をつくる事。そのために、健康な体をつくる事、活動(趣味、スポーツなど)をつくる事、そして仕事をつくる事が大切に!とのお話で長いセミナーが終わりました。菅野先生、ほんとにありがとうございました。

施設見学会


9月12日(火)参加者 18 名で、北ひろしま福祉会の施設見学会が行われました。日ハム新球場構想のエリアにあり、北広島市内に施設入所2か所、通所施設3か所、グループホーム19か所を運営しています。


 今回は「住むこと」を中心とした見学をお願いし、男性用と女性用のグループホームを見学しました。住居サービス事業「グリーンパーク北ひろ」所長の北口さんと女性用グループホームの責任者の吉崎さんに細かくご説明いただき、体験の重要性と、宿泊まで踏み出せない場合でも、夕食だけみんなと食べる所から始めて徐々に進めていけることが分かり、安心しました。


 グループホームの経費は、北ひろしま福祉会では、主な自己負担(支出)は、本人の前年収入で決まりますが、サービス以外の自己負担・ 家賃・食費・光熱費でおおよそ  65,000 円/月(北ひろしま福祉会では)他に・医療費、お小遣い、携帯電話代、理美容代などが考えられます。
また、様々なサービスを駆使して、看取りをされたとのこと。一人の人生に寄り添ってもらえるのだと、親としてホッとしました。


 就労支援センタージョブでは「ヒロパン」のパン作りの仕事の様子を見学しました。他に当日昼食に利用したレストラングリーンパークもあります。
就労センタージョブのスローガンは「無理しない させない ゆっくり ゆっくり」と書かれていて、親として安心できました。


 北広島セルプでは、段ボールやお菓子等の箱折、プラスチックコンテナの汚れ落とし、エプロンたたみ、ペットボトルキャップの選別作業等のお仕事をされていました。経験や障がいの特性を考慮した作業手順でした。
利用者の皆さんが落ち着いて自信をもってお仕事に取り組んでいる姿に感動しました。
職員の皆さんが、利用者さんの人生に寄り添う関りが行われていると感じられる見学会でした。


参加者の感想
〇グループホームとは何であるかがよく分かった。
〇一人暮らしは無理だと思い込んでいましたが、福祉サービスの使い方で可能と分かったことが、一番目から鱗でした。
〇人生において、何をしてもらえるのかまで聞けたのは初めてだった。自分の中に新しい考え方が生まれた。
〇北ひろしま福祉会は、地域に密着して、個別化された対応を、一元化されたサービスのもと行われていると感じた。

(記 小野寺)

支援学校見学会


10月16日(月)と18日(水)、見学は少人数での受け入れのため、二日間の日程で、北海道札幌伏見支援学校の見学会を行いました。参加者は合わせて15名でした。


本校は平成28年、旧高等盲学校の校舎を利用し札幌市中央区伏見地区に開校した新しい学校で、小学部、中学部、高等部の3つの学部を配慮し、札幌市内にある知的障がい教育を主とする特別支援学校学校では3校目、今年度の在校生は82名です。


小学部 個別に日課を把握するための時間割表や、わかり易い時計がある。

中学部 アクリルたわし制作やリサイクル作業。

高等部の紙すき作業。
テーブルを順序通りに進むと工程が一つずつ行える。

他ミシン作業、のぼりのチギリ部分のシール剥がし等、個人に合わせていくつかの作業種がある。

見学を終えて


次年度は児童生徒数が100名を越える予定で手狭になりそうと先生からお聞きしましたが、公共施設が近隣に多く、かつ自然が近い立地なので、地域を活用した体験学習を取り入れられることが特色だそうです。


 会員の子供達が関わる施設を見学し、知ることはとても大切なので、今後も様々な見学会を考えていきたいです。


参加者(保護者)の感想
〇限られたスペースを工夫して有効活用されていて関心した。
〇日付・1日の流れなど、掲示物がとてもわかりやすく、また個々に応じて作られていて、きめ細かさを感じた。
〇中・高等部では、みんな落ち着いて授業に取り組んでいる印象でした。
〇手厚いサポートの中で着実に必要な力が身に付いて行くんだろうな、と思えた。

(記 仲島)

クリスマス会


 11月26日(日)。厚別区民センター2階ホールで、60家族154人の参加者と、北翔大学の滝澤先生と学生さん、学生ボランティアの皆さん、ヒップフレンズの中島先生、北大の柴田さん、そしてラブジャンスの皆さんの計174人と例年以上の参加者で開催されました。


 クリスマスツリーのに飾りをつけ、バナナの親子のダンスで元気よくスタートしました。手遊び歌、参加家族の紹介に続き、サンタさんからプレゼントをもらい大喜びでした。
子どもたちが通っている作業所からパンやお菓子、手作り品などを本人たちが販売するミニバザーも大盛況でした。


 午後からは、当会ダンスサークル「ヒップフレンズ」、ダンスサークル「スマイルキッズ」、對馬陽子さんのダンス、札幌を盛り上げるサークルあっぱれのよさこいのステージ発表でした。最後ににメンバー以外の子ども達も前に出てきて一緒によさこいを踊り大変盛り上がりました。


 今年は、エンターテイメントスクール「ラブジャンクス」をお迎えしました。ダンスと歌のショーに皆、目を輝かせました。体験レッスンでは、小さな子から大きな子までノリノリで楽しんでいました。ラブジャンクスの皆さん、本当にありがとうございました。


 今年もあっという間に楽しいクリスマス会が終了しました。最後にお手伝いいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

(記 大野)

その他記事

第20回北海道出生前診断研究会・記念シンポジウム報告

 10月28日札幌市北区で行われた第20回北海道出生前診断研究会・記念シンポジウムで、三好明子さんがダウン症者の親の立場で講演を行い、シンポジウムに参加しました。医療等の専門家の中、親の気持ちを伝えることができました。
以下は講演の概要を表す抄録です。


共に生きる社会を願って
三好明子(ダウン症児・者父母の会 北海道小鳩会)

 出生前診断を受ける、受けないは個人の判断に委ねられるところですが、妊婦の少量の血液による検査だけで精度よく確率を推定出来る今回の新型の出生前検査が、あたかも「誰もが受けなくてはいけない検査」のごとく社会に受け取られる可能性があることや、「安易な命の選別につながる」ことにはとても危惧を感じています。


 授かった命は、障がいがあってもなくても尊く大切で、どの命も同じ重さです。出生前検査の技術のみが進歩するのではなく、『子どもにハンディキャップがあって生まれても、安心して育てていける』 誰もがそう思える社会になって初めて、生むという選択も含めて、検査をめぐる多様な選択が等しく尊重される成熟した社会の実現かと思います。


 子どもを持つ一人の親として、自分の子どもには素敵な人生を歩んで欲しい!夢を追いかけて欲しい!、そしてなによりも自分の存在を大切にして生きて欲しいと思います。


 この気持ちは、子どもにハンディキャップがある、なしに関わらず同じだと思います。


 出生前診断が問題になる中で、ダウン症のある人たちが、『ダウン症は生まれてくると困るの!? ぼくは、わたしは生まれてこないほうがよかったの!?』と感じることがあるとしたら、親として本当に心が痛みます。また、今この世に生を受けている、そしてこれから生まれてくるであろうダウン症のある人たちやその家族が、肩身の狭い想いをして生きていく社会になることも危惧しています。


 この社会では実に多様な人達が生活しています。ダウン症のある人も、その一員として、みなその人それぞれの人生を当たり前に生きています。全体的な発達の遅れはみられますが、ゆっくりでも1歩1歩確実に成長し、しっかり自分自身の人生を歩んでいます。


 しかし、障がいを持っている方へのいろいろな面での社会的な支援が整っているとは言えないことが、“生きづらさ”につながっている現状は確かにあります。


 障がいのあることが不幸なことではなく、その障がいゆえの“生きづらさ”と社会全体が、そして障がいを持っている本人も家族も捉え、その人に応じた必要なサポートがしっかり受けられる社会になることがとても大切だと考えます。


 出生前診断を通して、共に生きる社会とはどうあるべきか、どんな社会であれば、すべての人がその人らしくありのままに安心して生きていけるのかを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

~シンポジウムに参加したH孝弘さん (祭輝くん H19.5.30さんのお父様)の感想~

〇腑に落ちました
一番最初に新出生前診断のニュースを聞いたとき、なんという残酷な検査ができだだろう、即刻やめてしまえ!と憤りのような焦りのようなものを感じたものでした。


先日のシンポジウムに参加して納得しました。
 遺伝子の検査はものすごく進化して止められるものではないこと。素人目にみても凄い技術でやめてしまうなんてもったいない。
 でもやっぱり使いかたを間違えるとたくさんの人に不都合が生じる。
 間違えないための判断はとても難しいことですが、一部のお医者さんなどの医療機関の人達が大変な労力を使っている。


 特にコーディネーターの柴田さんの話は大変共感しました。


 我々ダウン症の生活を知るものとして柴田さんたちのご苦労を減らすなにかをできそうな、やらなきゃという気持ちになりました。

第1回日本ダウン症会議 分科会報告

11月12日大正大学(東京都豊島区)で開催された日本ダウン症会議の分科会「障害児者をめぐる法的な動向 -差別解消法1年半を過ぎて-」に、南区の三好宏樹さんがスピーカーとして参加しました。

<ダウン症のある方本人からのメッセージ>
「ぼくたちにももっと機会を!」

三好 宏樹(NPO法人 アラジン ;就労継続支援B型)


 皆さん、こんにちは!僕は、三好宏樹。29歳です。
地域の札幌市立藻岩小学校と藻岩中学校の特別支援学級で9年間楽しく生活しました。
その後、北海道札幌高等養護学校の産業科に進学し、3年間寄宿舎生活を楽しみました。
卒業後、YMCA英語・スポーツ専門学校のライフスキルラーニングコースに進学し、2010年の春から働いています。今年で8年目になりました。


 この分科会のテーマは、「障害児者をめぐる法的な動向ー差別解消法1年半を過ぎてー」という僕にはとても難しいテーマですので、今日は、僕の思っていることをお話させていただきます。


今日は、『ぼくたちにももっと機会を』ということで、2点について話したいと思います。


 1点目は、ハンディキャップを持っていてもスポーツを楽しめる機会をたくさん増やして欲しいことです。
僕は、スポーツが大好きです。水泳、ボウリング、スキー、マラソンなどを楽しんでいます。高校2年の時から日本知的障害者スキー協会に入って国内での大会に出たり、2007年から、ポーランド、イタリア、フランス、トルコ等で開催された知的障害者世界選手権大会に出場しました。とっても素晴らしい経験が出来ました。
 僕とスキーの出会いは、小学校1年生の時でした。兄が通っていたスキースクールが、ダウン症の僕を受け入れてくれました。はじめは、スキーもはけなかった僕が5日間で、スキーが大好きに なりました。もし、あの時スキースクールが僕を受け入れてくれなかったら、スキーが好きになっていなかったかもしれません。
 現在でもアルペンスキーを続けています。競技スキーは、いかに速くゴールするかを競うので、ポールをよく見てベストなポールラインで滑る事が大事です。凄く難しいです。練習の時は、上手く滑れる時もありますが、大会の時は、なかなか出来ません。大会の時、いかに速く滑るかが、課題です。
 大好きなスキーを続けるために、苦手なことにも取り組めました。たまには、辛い時もあるけれ ど、アルペンスキーが大好きなので、頑張れます。スキーはとっても楽しいです。僕は、スキーと出会えて、幸せです。だから、みんなにも、スポーツを楽しんで欲しいです。
 ハンディキャップを持っていても参加できる、いろいろなスポーツ教室やクラブ、サークル活動がたくさん身近にあり、みんながスポーツを楽しむ機会がふえることを望みます。スポーツをする場所が増えれば、スポーツが楽しめる人が増えるし、競技する人も増えると思います。そのためには、スポーツを教えてくれる指導員もたくさん増えたら良いと思います。
僕も将来は、障がいを持っている子どもがスキーを楽しむお手伝いをしたいと思います。


 2点目は、知的障がいを持っていても高等養護学校や養護学校を卒業した後、学べる場所を造って欲しいです。
僕は、YMCA英語・スポーツ専門学校と出会えて本当に幸せでした。僕は、ライフスキルラーニングコースに2年間、その後研究生として1年間学びました。授業は初めて学ぶことが多く初めは戸惑いましたが授業や実習などでYMCAの中と外で色々な経験をつみ、仲間達と一緒に、一歩一歩成長して来た、とっても楽しい3年間でした。考える力がついて自信がつきました。他の人にもそういう場所があればみんなも素晴らしい経験ができ、仲間達と楽しい生活ができると思います。だから、高校を卒業してすぐに働くのではなく学べる場があれば良いと考えました。
 僕の仲間の一人が、高校卒業後、『大学に行きたい!』と希望しました。大学に行くのは難しかったので、仲間の家族で、一般社団法人にじいろ福祉会を作り、2011年の4月学びの作業所(自立生活訓練事業所)「チャレンジキャンパスさっぽろ」を開設しました。ここでは、学びたい気持ちがある知的障がいのある後輩達が学校では難しかった社会体験や教育体験を通して、仲間達と楽しく学んでいます。僕は、夏の水泳授業とイベントがあればボランティアとして手伝っています。
 知的障がい者の生涯学習の場『さっぽろオープンカレッジ』にも、予定が合えば、参加しています。年に3回くらいしか開催されないので、なかなか参加できず残念です。僕は、国際理解と書道の講座が大好きです。国際理解の講座では、留学生が自分の国の挨拶や食の文化事等、スライドを使って楽しく説明してくれました。世界地図で、その国の場所も教えてくれました。学ぶことはとっても楽しいです。
 区民センターや地区センターに行くと、いろいろん文化教室が開催されています。仕事が終わった後や休日に行ける文化教室があると嬉しいです。僕は、カラオケ、ペン習字、英会話の教室があれば嬉しいです


 最後に僕の生活を少し紹介します。
NPO法人アラジン(就労継続支援B型)で週5日働いています。
 余暇活動では、ヨサコイやボウリングを楽しんだり、スペシャルオリンピックスの活動にも参加しています。ヨサコイでは、“札幌を盛り上げるサークル あっぱれ!!!”というチームで札幌で開催されるヨサコイ本祭にも出ています。
小さい時からのダウン症の仲良し仲間3人で、6年前、食いしん坊の会をつくり、ご飯を食べに行ったり、休日は遊びに行ったりしています。
2014年の7月には居酒屋デビューもしました。嬉しかったです。夢は、仲良しの友達3人で旅行に行くことです。
空いている休日には、映画を見たり、街をぶらぶらしたり、1人で出かける事を楽しんでいます。
将来は一人くらしをしたいです。でも、今は競技スキーを続ける事を優先しています。
自分のホームページを持っています。 先月の10月1日で13年目に入りました。今週の僕という日記で最近の気になったニュースや日々の出来事を、また、僕のSO日記でスペシャルオリンピックスでの活動を更新しています。今は、パソコンを使うのが、上手くなりました。パソコンを扱うのが大好きなので楽しんでいます


 充実した毎日を送っています。これからも、頑張っても出来ないことは、胸をはっていろいろな人に助けてもらいながら、多くのことに挑戦したいです。

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